全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。青森県の風景になります。


大湊線 青森県横浜町    (2018年6月撮影)
下北半島の陸奥湾に沿って走るはまなすベイライン大湊線です。

大湊線
キハ100形列車で、野辺地町の野辺地駅から、むつ市の大湊駅までを結んでいます。
横浜漁港    青森県横浜町下川原
横浜の地名の由来は、横に長く続く浜の意にちなむといわれ、陸奥湾に面して、南北に23kmと細長い。戦国時代末期にはすでに湊が開かれていたとされ、寛文元年(1661年)には僅か2ヶ月のあいだに83艘の商船が着岸し、材木を中心とした藩の交易港として栄えた。と、漁港漁場協会のHPにありました。神奈川県の横浜とは関係が無いようですね。
釜臥山(かまふせやま)    青森県横浜町
陸奥湾の先に見える、下北半島の先端方面の山です。
大湊線 青森県むつ市下北町    (2018年6月撮影)
田名部川を渡るキハ100形列車を、下北橋より撮りました。後ろの山は釜臥山になります。
大湊湾    青森県むつ市宇田町
上の写真にもある白いドームは「みなとオアシスおおみなと しもきた克雪(こくせつ)ドーム」って長い名前です。てか、青森の方言は言葉が短いって聞いたけど。
艦艇    青森県むつ市宇田町
大湊港にある海上自衛隊大湊地方隊の軍艦。
大湊港
奥から下北半島、陸奥湾、芦崎、大湊港、海上自衛隊大湊地方総監部の建物になります。
北洋館
北洋館は、海上自衛隊大湊地方隊の敷地内の一角に設置されている資料館です。
北洋館正面
この石造りの洋館「北洋館」は大正5年(1916年)に海軍士官の社交場として建てられました。
展示室は、海軍・自衛隊室、歴史室に区分されており、旧海軍から自衛隊までの、「北方の海上防衛」をテーマとした貴重な史料約1,000点が展示されています。
資料と共に数々の貴重な写真や絵、軍服なども展示されています。    (観光情報サイトHP参照)
北の防人(さきもり)大湊 壱番館
大湊地区は、明治35年の旧海軍大湊水雷団の開庁以来、要港として急速に変遷、発展を遂げました。終戦後は海上自衛隊大湊地方隊が設置され、北の防衛の要となっています。
北の防人大湊 壱番館
明治時代からの海軍施設が、水源池公園や海上自衛隊大湊地方隊の周辺に、当時の面影を残したまま点在しています。市ではこの一体を、「北の防人大湊」として整備されたようです。
北の防人大湊 弐番館
大正4年に旧海軍大湊要港部の士官官舎として建設されました。
現在は、市の有形文化財に指定されており、文化活動や交流が出来る施設となっているそうです。    (観光情報サイトHP参照)
沈澄池堰堤(ちんちょうちえんてい)
水源池公園にあるこの堤は、1909年(明治42年)に造られ、1976年(昭和51年)まで上水道の水源池として利用されていました。
水源地
日本で初めて試みられた厚アーチ式石造堰堤で
宇田川
東北地方で最初に建設された近代水道施設として、重要文化財に指定されているようです。
第一引入口(だいいちいんにゅうこう)
第一引入口及び沈澄池堰堤はそれぞれ特徴的な構法によって築かれた精緻造構造物で、明治後期における石造河川構造物の技術水準の高さを示すものであります。    (説明板抜粋)
乙水槽
乙水槽は沈澄池堰堤から引かれた管路をろ過池と艦船給水所の2方向に分岐するために築かれた内径2.5m、深さ3.9m、円筒形の煉瓦造構造物。    (説明板より)
海霧(かいむ)
翌日朝の大湊港のようすです。陸奥湾が完全に霧におおわれていますね。
海霧
先に見えるのは下北半島のようですね。次回は大湊海軍まつりの様子を載せる予定です。