全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。秋田県の風景になります。


帆掛島    秋田県男鹿市船川港小浜下台    (2017年8月撮影)
帆掛島は帆掛船の帆に似ているということから名付けられた島で、高さは30mで男鹿半島で最も大きな岩だそうです。

双子岩    秋田県男鹿市船川港小浜下台
よく似た岩が潮瀬崎に二つ並んでいました。もともとあった岩石の割れ目にマグマが入り込んで固まった岩脈(高角度)と岩床(水平)のようです。岩脈とは、地下から上がってきたマグマがもともとあった岩層を高角度で貫いて地表には噴出せずに固まったものを言いい、これに対して水平に低い角度で貫入しているものは岩床と呼ばれているそうです。
ゴジラ岩
これも潮瀬崎にある有名な岩です。約3,000万年前の火山の噴出物である火山礫凝灰岩(れきぎょうかいがん)が風化によって独特の形に削り出された岩です。
潮瀬崎灯台
ゴジラ岩の先にある、昭和30年1月に点灯した灯台です。
帆掛島
灯台のある潮瀬崎から見た帆掛島です。こちらからの方が帆に見えますよね。
冠岩
潮瀬崎にあった岩ですが、詳細は分かりませんでした。
大桟橋(だいさんきょう)    秋田県男鹿市船川港椿岩山田
芦の倉駐車場の大桟橋展望台からの風景で、ここからは橋には見えませんが、波の侵食によってえぐられてできた高さ10mの天然の石橋のようです。
廃墟    秋田県男鹿市戸賀加茂青砂中台
県道59号おがしおかぜ街道沿いにあった廃墟です。自分が旅先でよく出会った栄枯盛衰の風景ですね。
戸賀塩浜海岸    秋田県男鹿市戸賀浜塩谷
県道59号おがしおかぜ街道から見た風景です。
富島    秋田県男鹿市戸賀塩浜漁元崎
戸賀灯台があります。
入道崎    秋田県男鹿市北浦入道崎昆布浦
男鹿半島最北端の岬で、芝生に覆われた大地が海に突き出した日本海を一望できる岬。
水島
江戸時代後期の旅行家で本草学者の菅江真澄は1810年丸木舟に乗り、畠埼から水島へ渡り、 菅江真澄は「少しの風でも波に隠れそうなので『水島』の名がついたのだろう」としている。
入道埼灯台(にゅうどうさきとうだい)
1898年(明治31年)11月が初点灯で、高さ27.9m
の白黒縞模様の灯台です。
北緯40度線のモニュメント
同じ緯度には、ニューヨークや北京などの都市があるようです。
北緯40度線のモニュメント
先に立つ石塔は真北のラインを表す「北斗の石」だそうです。
西部承水路    秋田県男鹿市野石
県道54号男鹿琴丘線が走る野石橋からの風景です。
直線道路    秋田県大潟村西
昭和32(1957)年に干拓によってできた大潟の道は、きれいに碁盤目状に整備され、長い直線道路が延びている。広々とした田園の中、快適なドライ ブができる。    (説明板より)
大潟富士    秋田県大潟村方上
大潟富士は日本一低い山で、1995年(平成7年)6月3日の「測量の日」に完成した楽山です。ふもとから山頂までの高さは3.776m、ちょうど富士山の1/1000の高さです。また、山頂の標高は海抜0mで、隣接する八郎潟干拓記念水位塔と等しく、かつての八郎潟の湖面を表しています。
大潟富士からの風景
大潟村は、湖であった八郎潟を干拓した湖底に誕生しました。そのため堤防以外の土地が海面よりも低くなっています。大潟富士の山頂からは、干拓地の広大な風景を楽しめるとともに、かつての八郎潟の深さを実感できます。なお、八郎潟干拓記念水位塔の手前には三角点があり、その標高は-3.8mです。    (説明板より)
中央幹線排水路
大潟富士がある、県道298号線桜ロードの御幸橋(みゆきはし)からの風景です。
北緯40°東経140°経緯度交会点標示塔    秋田県大潟村中野
1957年(昭和32年)から行われた干拓工事により八郎潟は干拓され、湖底に新たな大地が誕生しました。これに伴い、経線と緯線が10度単位で交わる「地球の十字路」が日本の陸上で初めて出現したのです。    
小阿仁川(こあにがわ)    秋田県上小阿仁村小沢田向川原
道の駅「かみこあに」の近くにある川で、チビの散歩のひとこまです。