全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。今日から秋田県の風景になります。


観音崎    秋田県にかほ市象潟町小砂川    (2017年7月撮影)
三崎公園展望台からの風景です。この左の岬は

大師崎
山形県側になりますね。この三崎公園は、日本海に突き出た観音崎、大師崎、不動崎の3つの岬が名の由来となっているようです。
紫陽花
公園一帯は三崎山とも呼ばれ、約3000年前の鳥海山噴火による溶岩で地形がつくられたようです。
龍の彫刻 秋田県にかほ市象潟町小砂川
八幡神社にはたくさんの龍の彫刻がありますが、これらの説明がいっさいありませんね。

向拝柱に巻き付く昇り龍と下り龍ですよね。

脇障子に彫られた龍の彫刻です。にかほ市象潟町の役人さん、こんな立派な彫り物が有るのに作者、制作年月日など説明をしておいてよ!
鳥海山    秋田県にかほ市象潟町大森
手前の木の生えた小さな山のようなものは、松尾芭蕉が山形から、上記写真の三崎公園近くの三崎峠を越えて見に来た象潟(きさかた)の「九十九島」になります。
九十九島
約22500年前(紀元前466年)に鳥海山の山頂付近が山体崩壊を起こし、大量の土砂が岩なだれとなって日本海まで流れ込み、日本海を埋め立て多くの「流れ山」ができました。やがて砂州が伸び潟湖ができ「九十九島」と呼ばれる日本三景の松島のような風景になったが
合歓(ねむ)の花
1804年7月10日にマグニチュード7と推定される大地震が起こり大きな被害が出ました。そのとき象潟は一夜にして地面が約2m盛り上がってしまいます。そのため潟湖の水が流れ出し、現在のような風景ができたようです。
鳥海山    秋田県にかほ市象潟町大塩越
道の駅「象潟(きさかた)ねむの丘」にて
夕日
チビと散歩した時の風景です。
西施(せいし)像
西施は、越の国から呉の国王に献上された中国古代の美女、救国のため敵国に身を捧げた悲劇的な美女西施を、俳人松尾芭蕉は松島に比べて「うらむがごとし」と象潟の風景ににかようものとして俳諧の世界に生かした。その句が「奥の細道」に見られる次の句である。
西施
「象潟や雨に西施がねぶの花」象潟の美景の中、雨にぬれる合歓(ねむ)の花は、眠りについた西施の面影を彷彿(ほうふつ)とさせる、の意(佐藤勝明氏訳)    (説明板参照)
金浦港灯台 秋田県にかほ市金浦塩焚浜
金浦漁港の中にあり、橋で渡れる「金浦港嶋の社」がある島の中の灯台。
由利海岸波除石垣    秋田県にかほ市飛餅田
江戸時代に日本海の波浪や強風による塩害から農地と農作物、海岸沿いを走る北国街道を守るために築かれた石垣のようです。
平沢海水浴場    秋田県にかほ市平沢琴浦
隣接して潮風公園があり、駐車場もありました。
芹田岬方面    秋田県由利本荘市西目町    (2017年7月撮影)
浜館公園からの風景です。
夕なぎ     秋田県由利本荘市岩谷町
道の駅「おおうち」にあった村井良樹氏の作品。チビは雄なので見とれています(笑)
折渡千体地蔵    秋田県由利本荘市岩谷麓福王寺
説明板によると「今から約200年前是山禅師(赤田大佛開祖)が延命地蔵尊として建立されたもので、現在では通行人の安全と子守地蔵として知られている。
別名イボトリ地蔵としても有名である。平成元年から2年間で中国福建省で作られた千体地蔵が、全国の寄進者により全山に建てられ、地蔵霊山となる」とありました。
千人隠れ
説明板によると「この洞窟は、古代からのものであるが、天正十一年(1583年)由利十二頭の一人、大宝寺義氏と岩屋能登氏の合戦の折、岩屋氏の兵士が敗走の折、隠れたところと伝えられている」とありました。
今年もご覧頂きありがとう御座いました。
もう暫く県別のブログが続くと思いますが、来年も宜しくお願いいたします。そして、皆様方に良い年が来ますよう願っております。