全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。群馬県の風景になります。


大室公園    群馬県前橋市東大室町    (2018年5月撮影)
ここは昨日の大室古墳群の写真を載せた場所です。遠くに古墳がありますね。

旧関根家住宅
大室公園の民家園にある関根家住宅は、飯土井町(いいどいまち)にあった民家を、民家園に移築・復元したもので、幕末期ごろの建物と推定されているようです。
馬屋
入口を入ると広い土間で、右手には耕作に使う馬などを飼うための「うまや」がありました。
台所
土間奥にはかまどが置かれ、調理などを行う「だいどこ」がありました。
あがりはな
あがりはなと呼ばれる場所から板敷の場所に上がると4つの部屋があり、表側の部屋の上手を「こざ」、下手側を「おもてざしき」と呼び、客間や冠婚葬祭などに使われ、裏側には家族の寝室となる「なんど」や居間として使われた「うらざしき」が置かれているようです。
2階
2階は主に養蚕のためのスペースである板敷の「にけえ」と
馬屋2階
馬のエサとなるワラや、養蚕道具などを収納してある「うまやにけえ」がありました。養蚕道具は、家でカイコを飼っていたので懐かしいですね。
キャバレー「ロンドン」跡    群馬県前橋市千代田町
1960年代~1970年代に流行したキャバレーチェーン店の看板があったのに驚きでした。自分が学校を卒業して入った東京の会社で、先輩に連れて行かれたのは横浜駅近くのキャバレー「オリンピック」だったかな?自分はゲコなので飲めるよう努力しましたけど結局だめでしたね。酒が飲めたら孫の子守りで、多分このようなブログは書いていないでしょうね。
広瀬川    群馬県前橋市千代田町
諏訪橋からの風景です。岸辺の柳がいいですね。この青々とした柳を見ると「渭城朝雨潤輕塵(いじょうのちょうう けいじんをうるおし)    客舎青青柳色新(かくしゃせいせい りゅうしょくあらたなり)」の詩を思いますね。
前橋東照宮    群馬県前橋市大手町3丁目
現在の前橋東照宮の社殿は安政2年(1855)に再建され、明治4年(1871)に移転再築されたもの
のようです。
北原白秋・萩原朔太郎会見の杉
前橋東照宮の境内にあり、杉には彼ら二人と数人での写真が貼ってありました。
彰忠碑(しょうちゅうひ)    群馬県前橋市大手町 3丁目
厩橋国(うまやばしごこく)神社にあるこの碑は、明治38年12月、日露戦役の大捷(たいしょう)を記念して、東照宮付近に公園設置の議が起こり、市会で可決した。尚武(しょうぶ)会が主体に、日清・日露戦役の戦没者を祀るため、公園内に大彰忠碑建設の議が起こり、明治39年5月竣工。県下の戦没者1690名の氏名が刻まれ、碑の頂には、東京美術学校製作(細谷而楽(ほそや じらく)作)の金鵄(きんし)が飾られた。しかしながら、この彰忠碑は、太平洋戦争の金属回収のために撤去・供出された。現在の彰忠碑は昭和37年3月27日に竣工されたもの。金鵄は金属回収を免れ、旧のままのものである。    (前橋史より参照)
利根川    群馬県前橋市大手町 3丁目
中央大橋からの風景です。
岩神の飛び石    群馬県前橋市昭和町3丁目
巨岩が御神体であるため、科学的な分析調査が実施されたことが無い岩神稲荷神社境内にある高さが約10m、周囲が約70mという巨大な岩石は
岩神の飛び石
最近の調査でこの飛石は、約2万4千年前頃の浅間山の噴火によって発生した前橋泥流が、吾妻川沿いに当地まで流れ下ってきた際に運搬された岩石で、その岩石が成分的に浅間山方面を給源とするものであると判明したようです。
吾妻川    群馬県渋川市白井    (2018年5月撮影)
吾妻新橋から見える榛名山です。
上越線    群馬県渋川市白井
左が利根川で、右の流れの吾妻川はこの先で利根川となって千葉県の銚子を経て太平洋にのみ込まれる。