全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。埼玉県の風景になります。
日野鷺橋 埼玉県秩父市荒川日野 (2015年5月撮影)
埼玉県秩父市荒川小野原と同荒川日野の間に架かり荒川を渡る県道72号秩父荒川線の道路橋になります。
荒川
日野鷺橋からの風景です。

旧秩父橋 埼玉県秩父市阿保町
旧秩父橋(二代目の秩父橋)は、昭和6年5月に竣工した鉄筋コンクリート造りの三連アーチ橋で、橋長134.6m、幅員6m、現在は橋上公園として利用されている。

左甚五郎彫刻 埼玉県秩父市番場
秩父神社にある左甚五郎作の彫刻を三点載せます。説明は説明板抜粋です。
「つなぎの龍」
その昔、秩父札所十五香少林寺近くに、「天ヶ池」という池がありました。その池に棲みついた龍が暴れた際には、必ずこの彫刻の下に水溜りができていたことからこの彫り物の龍を鎖で繋ぎ止めたところ、その後、龍は現れなくなったという不思議な伝説が伝わっています。ご本殿東側の鎖で繋がれた青い龍の彫刻こそ、この伝説に語られた「つなぎの龍」の姿なのです。

「子宝 子育ての虎」
未だ群雄割拠の戦国時代、当社は甲斐の武田信玄公の手により、永録十二年(1569年)に焼失の後、徳川家康公のお力により現在のご社殿が再建されました。家康公は、寅の年寅の日寅の刻生まれということで、虎にまつわる物語が少なくありません。それにちなんでか、当社の拝殿前は四面にわたってすべて虎の彫り物が施されています。特に拝殿正面左より二つめの、子虎とたわむれる親虎の彫刻は、名工左甚五郎が家康公の威厳とご祭神を守護する神使として彫刻したものと伝えられています。当時の狩野派では、虎の群れの中に必ず一匹の豹を描くことが定法とされていたことから、母虎があえて豹として描かれているのが特徴的です。

「お元気三猿」
三猿といえば日光東照宮が有名ですが、同じ徳川家縁りの御社であるにも拘らず、当社の三猿は日光とまったく違った表情をしています。日光が古来の庚申信仰にちなんで「見ざる言わざる聞かざる」なのに対し、当社の三猿は「よく見・よく聞いてよく話そう」ということで、現代の情報化社会にふさわしく俗に「お元気三猿」として皆様に親しまれています。当社のご祭神である妙見様は、神仏の中心にあって、人間の元気な命を司る神様として永く信仰されてきたことから、特に不老長寿のご利益があると言われています。










