全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。千葉県の風景になります。


高家神社(たかべじんじゃ)    千葉県南房総市千倉町南朝夷    (2017年11月撮影)
いつの頃だっただろう?マンガの「美味しんぼ」を読んでいた時に

包丁塚
包丁と箸だけで、魚に手を触れることなく
新穀感謝祭(巫女の舞)
魚をさばいて行く神事の内容を読んで感心していたんだよね。
式次第
その時は、歴史ある京都の神社で行う行事だとばっかり思っていた。
包丁式
ところが、千葉の風景写真を撮ろうと散策しながら、高家神社の狛犬の写真を撮りに行くと
俎(まないた)開き
なんと、包丁式なるものが開かれていた。
俎開き
まさか、自分がこの目で生の儀式を見ることが出来るとは思ってもいなかったんだよね。
第一介添え
まるで、貴族社会の平安時代にタイムスリップしたかのようないでたちで
第三介添え
鯉をものの見事にさばいて行きましたね。
第三介添え
生け花・茶道・香道など日本には
第三介添え
さまざまな物を極め尽くし
第三介添え

作法として残して行く文化があるよね。

第三介添え退く
この格式高い儀式は
四條流石井派一門 庖丁式奉納
高家神社の新穀感謝祭・庖丁式奉納(旧新嘗祭にいなめさい)という神事のようですね。
高家神社は、日本書紀の記述によると、今から約1800年前、西暦で4世紀前半の頃
第12代景行天皇(けいこうてんのう)(大和武尊(やまとたけるのみこと)の父親)が
安房乃国(今の南房総地域)を訪れました。
その際、磐鹿六雁命(いわかむつかりのみこと)が堅魚(かつお)と白蛤(しろうむぎ=はまぐり)を獲り、それを調理して天皇にお出ししたところ
天皇はその美味しさにたいへん喜び、勅命をもって子々孫々、大膳職長(おおかしわでのおさ)(今で言う天皇の料理番)に任ぜられました。
この高家神社はその「磐鹿六雁命」を「御食津神(みけつかみ)」として主祭神に祀る神社で、日本で唯一料理の祖神を祀る神社のようです。
奉納される四條流包丁術は、9世紀の半ば、光孝(こうこう)天皇の命により藤原山蔭(ふじわらのやまかげ)が創始したもの。
唐の食習慣・調理法が日本にもたらされ、それが日本的に昇華し、包丁術となったもの。
室町時代後期の長享3年(1489年)頃に記された『四條流庖丁書』には
俎(まないた)の寸法、具体的な料理法、箸や膳の飾り方にいたるまで詳細な記述があります。
包丁を入れる食材に関しては、海のものを上、川のものを中、山のものを下と記されています。
包丁式は、そんな四條流包丁術を現代に伝え、藤原山蔭が鯉をさばいて以来の伝統技法を
烏帽子(えぼし)、直垂(ひたたれ)姿で庖丁と真魚箸(まなばし)のみで魚を捌くという厳かな式となっているのです。