全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。千葉県の風景になります。
市津湖(しづこ) 千葉県長柄町山之郷 (2017年1月撮影)
長柄ダムによって生まれた湖で、ほとりには長柄自然休養村があり、観光農園やキャンプ場、テニスコートや小動物園などがあります。
長柄ダム
昭和60年(1985年)に、土を盛り上げて作られたアースダムとして完成しました。
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提灯松の碑 千葉県東金市下武射田 (2017年1月撮影)
御成新道終点側の目印であった提灯松の碑です。御成新道とは、慶長19年(1614)正月の家康の鷹狩りに備え、船橋から東金までの御成街道の造成と同時に、前年12月から佐倉城主土井利勝によって造成された道で、東金市田間(たま)から山武市(さんむし)小松字道面(どうめん)までのおよそ二里(約8km)(一歩実測では9.5km)の道をいいます。別名「御鷹狩り道」、「お成り道」、「提灯道」などともいわれているそうです。
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ふれあい坂田池公園は、水資源開発公団が京葉方面への工業用水を取水していた栗山川の枯渇などに備える調整池として整備されたようです。
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三の丸跡 千葉県横芝光町坂田
空堀跡
三の丸から二の丸の間に掘られている
三の丸から二の丸の間に掘られている
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二の丸跡
このあたりは、字見台と称し、二の丸に相当する場所です。主郭(本丸)と三郭(三の丸)をつなぐ位置にあり、80m×60mの不整形な三角形状をなし、三郭(三の丸)とは土塁及び空堀で区画され主郭(本丸)と同様土橋で連絡されています。![](https://stat.ameba.jp/user_images/20230830/11/osamu-28/fe/f6/j/o1080081015331680974.jpg?caw=800)
本丸跡
このあたりは、字牙城と称し、坂田城の南端西側に位置する曲輪で、近世城郭では本丸に相当する場所です。東西約80m、南北約50mの方形の平面型で北東は比高差約3mの土塁と空堀によって東の二郭(二の丸)や北の三郭(三の丸)と区画され、二郭(二の丸)のは土橋でつながれています。 (説明は説明板より)
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殿塚古墳約⅓の模型 千葉県芝山町芝山 (2017年1月撮影)
「芝山公園」に有るこの古墳は、千葉県横芝光町中台に有る芝山古墳群の「殿塚古墳」を模したもの。
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トーテムポール
埴輪をモチーフに作られたもの。
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土間
この住宅は、形式手法からみて十七世紀末期から十八世紀初期にかけて建設されたと推定され、規模は間口十間、奥行五間の茅寄棟造である。数度の改造はあるものの、主要構造部材はよく残存している。
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台所
江戸時代中期における当地方の上級農家の典型で、昭和六十二年六十三年度に芝山公園内の現在地に移築修理をした。
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茶の間
この修理に伴い、建物は土間部が拡張された時期のほぼ十八世紀後期の姿に復原整備された。
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かまど
五室から構成された間取りは土間から入って、押板・仏壇付きの十七畳半大の板敷のチャノマ、十畳敷のザシキ、その奥に床の間を設けたオクノマと続き、裏手はナン ド、ダイドコロとなる。
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座敷と奥の間
その他、ダイドコロの土間張出しや外回りの板戸二枚に明障子一枚などの閉鎖的な柱間装置、正面の縁に設けられた出入り口など、この地方における特色が残っている。
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