全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。千葉県の風景になります。


多田良北浜海水浴場    千葉県南房総市富浦町多田良    (2017年1月撮影)
昨日ブログに載せた大房岬公園がある大房岬が正面に見えます。

岡本桟橋    千葉県南房総市富浦町原岡地先
原岡桟橋とも言われるこの桟橋は木製で出来ていて、この日は天気が悪く海が荒れていて渡れなかったが、正面に富士山が見える絶景の場所のようです。
逢島    千葉県南房総市富浦町豊岡
昔は恋人達が「逢瀬を楽しむ島」でしたが、関東大震災の隆起によって陸続きになってしまったようです。
南無谷崎    千葉県南房総市富浦町豊岡
富浦町の南無谷は、大昔、泉澤村と呼ばれていたが、日蓮宗を広めた日蓮聖人との関係でそう呼ばれるようになったようです。
船虫島と雀島(右側)    千葉県南房総市富浦町豊岡
二つ並ぶ岩はだいたい「夫婦岩」の名前が付きますよね。ここもその名が付き、岩の間に沈む夕日が絶景のようです。
西ヶ崎    千葉県南房総市高崎
左側の島は浮島になります。
伏姫籠穴門    千葉県南房総市合戸
富山(とみさん)中腹にある伏姫(ふせひめ)の籠穴(ろうけつ)は、滝沢馬琴の名作「南総里見八犬伝」の舞台と言われる伏姫と八房(やつふさ)が籠もった「籠穴」です。
犬塚
飼い犬「八房」が眠るという犬塚です。
伏姫籠穴
「南総里見八犬伝」は、犬の字が姓にあり、「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の八つの霊玉を持つ八犬士が活躍する物語で、中国の「水滸伝」などにもとづき、戦国時代房総を10代にわたって支配した里見氏の史実等を参考に書かれた伝奇小説です。
岩井海岸    千葉県南房総市高崎
浦賀水道に面して約2kmの弓状の砂浜が続ています。
岩婦湖(いわぶこ) 千葉県南房総市高崎
かつては岩婦温泉郷があったようですが、現在は営業していないようですね。
浮島    千葉県鋸南町岩井袋    (2017年1月撮影)
浮島伝説「東国平定を成し遂げた日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の死後、父の景行天皇は皇子と同じ旅路をたどり、弟橘姫の供養も兼ね、浮島に着いた。浮島がとても気に入った天皇は、しばらく滞在したと言われます。この時、天皇に同行していた磐鹿六雁命(イワカムツカリノミコト)が浜辺でとれた大きな蛤や、角で作った弓の先で釣り上げた堅魚(鰹)を料理して天皇に差し上げたところたいそう喜ばれ、以来、天皇家の料理番となりました。後に料理の神様としても祭られるようになったのです」    (千葉県観光物産協会HPより)
飛沫
葛飾北斎の浮世絵「神奈川沖浪裏」をイメージして岩井袋の海岸から撮って見ました。
夕景
伊豆半島に日が沈んだ後の夕焼け空です。
富士山
飛沫を撮って、伊豆半島に日が沈んだ後の富士山です。
スイセンロードがある山    千葉県南房総市二部    (2017年1月撮影)
この山にスイセンを見に行って来ました。
伊豆大島
スイセンロード展望台からの風景です。
スイセン
獣道のような細い道の両側に咲くスイセンにより、花の匂いが漂って来ましたね
勝山海水浴場    千葉県鋸南町竜島    (2017年1月撮影)
竜島海岸にある海水浴場です。
ミサゴ島[傾城(けいせい)島]
竜島海岸から見えるこの岩は昔、弟橘媛(おとたちばなひめ)のなきがらがこの島に漂着し、里人ここに葬りしずめ、みささぎ島、又その操をたたえて、操島と称したが、いつの日にかなまって、ミサゴ島となったようです。
源頼朝上陸地の碑
源頼朝は、治承4年(1180年)8月に伊豆で平家打倒の兵を挙げましたが、相州石橋山の合戦で敗れ、28日に同国土肥郷の真鶴岬から小船で脱出し房総へと逃れます。翌29日、わずかな供を連れて、安房国猟島(現在の鋸南町竜島)に上陸しました。竜島の村人たちは、頼朝を歓迎して、いろいろと世話を焼いたと伝えられています。ちなみに石碑の前の猫はチビではありません。
観音崎と明鐘岬(右側)
竜島海岸から東京湾の風景です。