全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。静岡県の風景になります。


狩野城跡遊歩道入口 静岡県伊豆市本柿木    (2021年3月撮影)
狩野城跡(かのじょうあと)にチビと行って来ました

空堀
伊豆市観光情報サイトによると「狩野(かの)氏は平安時代後期の11世紀半ばから室町時代後期の15世紀まで約400年にわたり、狩野地区の領主でした。
西郭(にしくるわ)跡
北条早雲(ほうじょう そううん)が伊豆に攻め込んだときには敵対しましたが、後に狩野城を開城して降伏、小田原に移って後北条氏(ごほうじょうし)の家臣団の中枢で活躍しました。
二重堀
狩野城は、狩野川と柿木川合流点の南側の丘陵地に、急峻な斜面に囲まれ建っていました。
本郭跡
深い空堀が各郭を区切るように設けられ、二重堀のあとも見られます。
東郭跡
残っている地名から、戦のない平常時には城内でなく、西側の平坦地に住んでいたものと推測されます。」とありました。
チビお疲れ
途中チビは座り込み、休み休みの散策でした
出丸跡
また、所々で道草をしながらの散策でした。
向山(むかいやま)古墳群公園 静岡県三島市北沢    (2021年3月撮影)
円墳14基、前方後円墳2基の、合計16基からなる小規模な古墳群ですが、ここは12~15号墳があるC地区4,139平方メートルの公園です。
12号墳
12号墳は直径13m、高さ2.6mの円墳です。発掘調査では、ローム層の赤土と黒褐色土を交互に積んで古墳を作っていることがわかりましたが、亡くなった人を葬った穴の跡を見つけることはできませんでした。また古墳の周りの溝は、幅2.0m、深さ0.6mの規模で古墳の東側半分で見つかりました。6世紀前半頃に作られた古墳と考えられています。古墳の保護のため、盛り土をして表面に芝を張りました。
13号墳
13号墳は半分以上壊されていましたが、発掘調査で古墳の周りの溝が見つかり直径15mの円墳であったことがわかりました。古墳の上の中央付近から、亡くなった人を葬った長さ3.0m幅1.7mの穴の跡が見つかりました。木棺直葬といって遺体を入れた箱形の木棺を、直接古墳の盛り土の中に埋めた構造だったことが推測できます。 須恵器という灰色の土器が出土し、6世紀中頃の古墳と考えられています。古墳の保護のため、盛り土をして芝を張り、古墳の上には亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示しました。
14号墳
14号墳は最大径約28m高さ2.9mで、向山古墳群の中では最も大型の円墳です。発掘調査では、土を盛るのではなく自然の地形を削って古墳を作ったことや、周りの溝はなかったことがわかりました。
14号墳上部
また古墳の上の中央付近から、亡くなった人を葬った長さ6.8m、幅2.8mの穴の跡が見つかりました。木棺直葬といって、遺体を入れた箱形の木棺を直接古墳の中に埋めた構造だったことが推測できます。4世紀中頃に作られた古墳と考えられています。亡くなった人を葬った穴の跡を石で表示しました。
14号墳より向山古墳群
4世紀中頃に作られた古墳と考えられています。古墳の保護のため、盛り土をして芝を張りました。
15号墳
15号墳は盛り土が全く残っていませんが、発掘調査で最大幅20m、深さ0.5mの円形の溝が発見され、ここに古墳があったことがわかりました。溝の直径から最大径14.6mの円墳と推測できますが高さは不明です。6世紀の古墳と考えられます。整備にあたっては盛り土を復元せずに、古墳の周りの溝だけを表現しました。 長い年月の間にはこの様に壊されてしまう古墳があります。ここにどんな古 墳があったのか想像してみてください。
各々説明板からの説明になります。