全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。静岡県の風景になります。


富士本町通り    静岡県富士市本町    (2018年2月撮影)
この通りにある富士本町商店街は、富士山が正面に見えます。富士山が正面に見える商店街として、最近人気が出ているとか、いないとか。
富士川橋    静岡県富士市岩淵    (2018年2月撮影)
こちらは、東名高速道路の富士川に架かる橋脚です。富士川橋という橋は富士川には数ヶ所あるようです。
富士山    静岡県富士市岩淵北吉野    (2018年2月撮影)
道の駅「富士川楽座」の大観覧車を入れて富士山を撮って見ました。

富士川 
道の駅前にあるこの川に沿って、富士山が見える風景を撮って見ました。川面に写る富士山っていいですよね。
渡船上り場常夜灯
渡船の安全祈願と夜間緊急時に船を着けるための目印としてつくられたといわれています。文政十三年庚寅正月吉日と刻まれていました。
富士川橋
富士川に架かる県道396号富士由比線の橋で、大正13年(1924)に国道1号の橋として完成した歴史ある6連曲弦プラットトラス橋です。
四ヶ郷頭首工(しかごうとうしゅこう)
富士川橋から見えるこの堰は、四ヶ郷用水(富士川用水)に取入れるための取水口です。
雁堤(かりがねつづみ)    静岡県富士市松岡    (2018年2月撮影)
説明板よると「雁堤は、富士市を流れる富士川の東岸にあり、岩本山山裾から松岡水神社まで及ぶ大規模な堤防です。形状が、雁が連なって飛ぶ形に似ていることからその名が付きました。雁堤ができる以前の富士川は、広範囲に川筋が広がっていたと考えられ、たびたび氾濫する暴れ川でした。そこで江戸時代初期、古郡孫太夫重高(ふるごおりまごだゆうしげたか)は、籠下村(現松岡)を開拓するために堤防工事に着手しました。
雁公園
まず、重高は元和(げんな)年間(1615~1624)岩本山麓に突堤「一番出し」「二番出し」を築いて流路の変更を図り、子の重政は堤防補強と新田開発に手腕を発揮しました。 重政の子重年は、釜無川(山梨県)の信玄堤(しんげんづつみ)を参考に川の氾濫を鎮めるため、連続する突堤を築き広大な遊水地を設け、ついに延宝二年(1674)雁堤が完成しました。これにより、堤の南東一帯の加島平野は「加島五千石の米どころ」と呼ばれる豊かな土地に生まれ変わりました。
岩本山と雁堤
堤の築堤は大変な難工事であったため、古郡氏は工事の成功を願って、現在の松岡水神社や中島天満宮を祀ったほか、治水工事に見識の深い鉄牛禅師(てつぎゅうぜんじ)と親交を持ち、完成後に鉄牛禅師を請して松岡に瑞林寺(ずいりんじ)を創建しました。また、現在の護所神社の位置には、堤防の要として人柱を埋めたとする伝説も残されており、雁堤の完成が当時の人々にとっていかに悲願であったか偲ばれます。こうして古都氏三代による五十年余の長い歳月をかけて完成した堤は、現代においても現行の堤防として生き続け、私たちの日々の安全を支えてくれています。」とあります。