全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。長野県の風景になります。


雨が降り仕事が休みになったので、道の駅のフリーWi-Fiでブログを更新しました。


妙高山 長野県信濃町柏原    (2019年7月撮影)
道の駅「しなの」で車中泊をした朝の風景です。

黒姫山
朝焼けが西の空にも広がっていました。
飯綱山
朝焼けの時間は長くはなく、この山の風景を撮る頃には普段の風景に変わっていました。
松代妻女山招魂社 長野県長野市松代町岩野    (2019年7月撮影)
松代妻女山招魂社(さいじょざんしょうこんしゃ)は、戊辰戦争の際に松代真田藩の藩士として従軍し、戦死した52柱の御霊を祀るために、第十代藩主真田幸民が明治2(1869)年に建立した神社です。日清、日露、満州・日中そして太平洋戦争終結までの間、郷土の戦没者969柱の御霊を合祀してある慰霊施設です。
妻女山(さいじょざん)展望台
ここは川中島の戦いで、上杉軍が陣を置いた場所です。説明板によると「1561(永禄4)年9月10日(現在の暦では10月28日)八幡原を中心とする川中島平の広い範で武田・上杉軍による4回目の戦が行われた。上杉軍は8月16日に13,000の本隊を率いて海津城を眼下に見ながらここ妻女山に着陣した。一方、海津城を守る高坂弾正からの援軍要請をうけた武田軍は20,000の兵を率いて8月29日に海津城に入った。両軍とも過去3回にない多数の兵を動員し決戦の準備に臨んだ。武田軍は山本勘助の進言により兵を二手に分け、主力である12,000の兵を夜中妻女山へ向かわせ、残り8,000の信玄の本隊が八幡原でこれを迎え撃つ作戦をとった。いわゆる「きつつき戦法」と呼ばれるものである。
八幡原方面
これを察知した上杉軍は夜中に山を下り、千曲川の雨の宮の渡しや犀川を渡って川中島平に出て夜明けを待った。この夜は霧が深く、夜明けとともに霧が晴れた瞬間、両車がすぐ間近に遭遇することになった。上杉軍の予期せぬ 「車がかりの戦法」に劣勢となった武田軍は苦戦し、信玄の弟信繁、諸角豊後守、山本勘助らが戦死した。その後、妻女山からの別働隊の参戦によって形勢は逆転し、上杉方も多くの戦死者を出し退却した。直接対決を避けてきた信玄がこの戦いで多くの犠牲をはらいながらも上杉軍を押し返したことで川中島一帯は信玄の支配下となり、上杉を頼った村上義清、高梨政額は信濃川中島への復帰の願いを断たれる結果となった。」たぶん、右側の林の辺りが古戦場公園になると思います。
上杉謙信槍尻の泉
 展望台への登り口に「槍突き(尻)いしづの泉」がありました。謙信が槍の石突きで突いたところ、水が湧き出たという伝説があります
子檀嶺岳(こまゆみだけ) 長野県青木村村松    (2019年7月撮影)
1223mの別名冠者(かんじゃ)岳とも呼ばれた山岳信仰の山のようです。
修那羅峠(しょならとうげ) 長野県青木村田沢    (2019年7月撮影)
長野県青木村田沢と筑北村坂井の境にある県道12号丸子信州新線の峠になります。
聖湖(ひじりこ) 長野県麻績村麻聖    (2019年7月撮影)
聖高原の中心に位置する聖湖は、湧水でできた自然湖のようです。
姨捨駅 長野県千曲市八幡姨捨    (2019年7月撮影)
標高551mの山の中腹に位置し、全国でも数少ないスイッチバック方式を擁する駅。
特急しなの 長野県千曲市八幡姨捨    (2019年7月撮影)
正面の霞んで見える山の方面が長野市方面になります。
犬川 長野県白馬村神城    (2019年7月撮影)
白馬五竜スキー場近くを流れる川で、階段になっている風景だったので写真を撮ったように記憶しています。
エイブル白馬五竜スキー場
自分はスキーをしないので良く分かりませが、ここは白馬村の玄関口にあり、絶景と上質なパウダースノーを味わえるスキー場で、初心者用、コブ、パークなど、多彩な23のコースを楽しめるようです。
エイブル白馬五竜スキー場ゴンドラ
ゴンドラで標高1500m超まで登れば、極上パウダースノーを味わえるようです。