全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。長野県の風景になります。


信玄塚 長野県根羽村横旗    (2019年3月撮影)
武田信玄は、三河国野田城(愛知県新城市)攻略の後、鳳来寺にて肺肝の療養をしていたが、病状が思わしくないので、田口・津具を経て甲斐国へ引き返す途中元亀4年(1573)4月12日、53歳にて、ここねばね(根羽)の上村において他界された。(「甲陽軍鑑」より)

信玄塚
根羽村横旗の「横畑」とよばれる地名は、信玄哀悼の意を込めて風林火山の旗を横にした=「横旗」に由来しているともいわれています。
釜ヶ入の甌穴(おうけつ) 長野県根羽村桧原    (2019年3月撮影)
5つの甌穴が1m間隔で並ぶ。根羽村桧原にある甌穴は渓流に渦巻く水による岩の侵蝕によってできた鍋状の穴で龍宮に通じ、石を投げこむと、竜王が怒り大雨が降るという伝説があります。
八ヶ瀬 長野県南木曽町田立    (2019年6月撮影)
粒栗渓谷にある「田立の滝」に向かう途中にある瀬になります。
田立の滝清水 長野県南木曽町田立
田立の滝とは、うるう滝、らせん滝、洗心(せんしん)滝、霧ヶ滝、天河(てんが)滝、不動滝、そうめん滝等、大滝川の峡谷にかかる無数の瀑布を総称して「田立(ただち)の滝」と呼んでいるようです。この清水は駐車場付近にありました。
うるう滝
でも、自分がチビを連れて行ったのは、この滝だけだったみたいですね。
千畳岩(瀬音岩) 長野県大桑村野尻
ここからは「阿寺(あてら)渓谷」になります。この渓谷は前回載せているので、今回は前回載せて無い場所を載せました。この岩は説明板によると「大きな岩盤のため、こう呼ばれるようになった。この岩の下に立って耳を澄ますと、谷川の瀬音が反響しあたかも頭上に渓流がほとばしっているような錯覚を受ける。一名「瀬音岩」とも言う。」とありました。
雨現の滝
雨が降った時に現れる滝。
狐ケ淵・狸ケ淵
その昔、この渓谷にはいろいろな動物がたくさん棲んでいたといわれる。そのため動物の名がついた淵が多くある。狐や狸は「化け物」といって、よく人を化かしたと伝えられている。この淵に狐や狸が己の「化身」のできばえを鏡代わりに映し見たので名付けられたという。    (説明板より)
味噌川ダム    長野県木祖村小木曽    (2019年6月撮影)
堤高140.0mのこのダムはロックフィルダムで、コア(こまかめの土)、フィルター(あらめの石)、ロック(大きい岩)の土や岩をつみあげてつくられています。 コアは水を止めるためのものです。
奥木曽湖
木曽川の源流にあり、多目的ダムとしては標高1,130mの日本で一番高地にあります。
木曽川
ダムからの水は木曽川となって流れて行きます。遠くには雪をかぶった中央アルプスの木曽駒ヶ岳が見えます。
平出一里塚 長野県塩尻市宗賀    (2019年6月撮影)
一里塚は、慶長九年(1604)に江戸幕府の命により各街道に築かれはじめ、同12年にほぼ完成をみた。三十六町を一里として、一里ごとに道の両側に一里塚を築かせ、塚の頂上に松や優などを植えて道程標とし、旅情を慰め通行の便宜をはかった。塚は五間四方。高さ一丈 (2.3m)と定められた。慶長19年(1614)に、中山道は牛首峠経由から塩尻峠経由に変更され、この平出一里塚もその頃につくられたものと推定される。
平出一里塚
江戸時代、塩尻市内の中山道には、東山・柿沢・平出・牧野・日出塩・若神子・押込・橋戸・鳥居峠の九か所に一里塚が築かれていたが、明治以後はその必要もなく次々に消滅し、現在はここ平出と東山・若神子が残り、両塚を残すのはこの平出のみとなってしまった。この一里塚は、日本橋の基点より五十九番目のもので、宝暦6年(1756)頃には、この付近に茶屋二軒のあることがわかっている。    (説明板より)
平出遺跡 縄文の村 長野県塩尻市宗賀    (2019年6月撮影)
平出遺跡に人々が生活していた時期は、縄文時代から平安時代にまでおよぶことが、発掘調査でわかったようです。