全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。長野県の風景になります。


善光寺仲見世通り    長野県長野市長野元善町    (2015年6月撮影)
昨日の仁王門からの続きになります。ちょうど仁王門を出た場所からの風景です。

仲見世通り
こちらは仲見世通りの終わり付近から、来た道を振り返り仁王門方面の風景です。
善光寺山門
山門手前の参道には、左側に数件のお土産屋が並んでいました。
善光寺山門(三門)
江戸時代延享(えんきょう)二年(1745)に建立が始まり、寛延(かんえん)三年(1750)に落成しました。善光寺本堂ができてから43年後のことです。高さ約20m、正面約20m、奥行き約7.8m、入母屋造りの楼門で、樫の丸柱が18本使われています。正面に「善光寺」という額が掲げられていますが、 これは日光輪王寺の門跡(もんぜき=皇族・公家が住職を務める特定の寺院、あるいはその住職)であった公澄法親王(こうちょう ほっしんのう)の親筆によるものです。楼上には文殊菩薩騎獅像と四天王立像が安置されています。(説明板参照)
善光寺
七年に一度、絶対秘仏である御本尊の御身代わり 「前立本尊」(鎌倉時代)を本堂にお迎えして行う「善光寺前立本尊御開帳」とは
善光寺の御本尊「一光三尊(いっこうさんぞん)阿弥陀如来」は、中央に阿弥陀如来、右に観音菩薩、左に勢至菩薩が並ぶ。白雉(はくち、びゃくち)5年(654)以来の絶対秘仏であり、鎌倉時代に御本尊の御身代わりとして「前立本尊」が造られました。
回向柱(えこうばしら)
普段は御宝庫に安置されていますが、七年に一度の御開帳の時だけ、お姿を拝むことが叶います。前立本尊中央の阿弥陀如来の右手に結ばれた金糸は五色の糸に変わり、白い「善の綱」として、本堂前の回向柱に結ばれます。その回向柱に触れることは、前立本尊に触れるのと同じこととされています。(善光寺御開帳奉賛会HP参照)
良性院(宿坊)
善光寺は、大勧進・大本願の下に39の寺院(宿坊)があります。寺院名に院と付く方が天台宗、坊と付く方が浄土宗のお寺です。善光寺の参道を取り囲むように建ち並んでいます。
常田新橋 長野県上田市常田    (2015年6月撮影)
千曲川に架かる橋です。
千曲川
常田新橋から上流の風景で、遠くに見える橋は長野新幹線の「上田ハープ橋」で、長野新幹線は現在北陸新幹線に名称が変わっています。
しなの鉄道    長野県上田市踏入    (2015年6月撮影)
平行してある橋脚は、当時は長野新幹線が走っていて、現在は北陸新幹線が走っています。
旧常田館製糸場    長野県上田市常田
常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場です。現在は笠原工業株式会社として電子部品製造をしています。
常田館
笠原工業株式会社構内に常田館製糸場に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定されています。
四階繭(まゆ)倉庫
四階繭倉庫は密閉式の繭倉庫で、大正時代以降、乾燥機の発達により通風による乾燥が必要なくなったために出来た倉庫のようです。
五階繭倉庫と煙突
五階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式です。製糸工場では大量の湯と蒸気を必要とするため、そのボイラーの煙突。大正期まで駅直結で燃料の石炭を運ぶトロッコがあったそうです。
そういえば、自分の親も蚕を飼っていて、お袋が朝に与えた桑の葉を蚕が食る音を聞き、幼少の頃起きたような記憶がよみがえりました。