全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。長野県の風景になります。


二の郭(かく)兵舎    長野県千曲市上山田    (2015年6月撮影)
昨日に続き荒砥城跡の写真になります。

本郭から見た二の郭
この城跡には後日チビと来ているので
二の郭にある櫓
川中島合戦の頃に、武田軍と上杉軍による争奪戦が繰り広げられたようすなどを載せる予定です。
二の郭から見た千曲川と上田市方面。
松代駅跡    長野県長野市松代町松代    (2015年6月撮影)
長野電鉄屋代線が走っていた駅舎は観光案内所やバスの待合所として利用され
松代駅ホーム跡
線路は撤去され、旧駅構内は松代城公園の駐車場として利用されているようです。
松代城本丸外郭
永禄3年(1560)、甲斐の武田信玄が、越後の上杉謙信との「川中島の合戦」(1553-1564)の際に築城した「海津城」が松代城のはじまりとされています。その後、紆余曲折あり
内堀
元和8年(1622)に真田信之が上田から移封されて、真田3代藩主「幸道」のときに幕命により「松代城」と改名されました。
太鼓門前橋
本丸正面の内堀に架かる木橋で、現在掛かる橋は江戸時代末期の設計図を元に復元されたもののようです。
太鼓門
説明板によると「太鼓門は本丸内では一番大きな門でした。本丸大手(正面)の出入口(虎口)は、桝形に石垣をまわし、二層の櫓門(太鼓門)と枡形門(橋詰門)の2つの門で構成しています。このような形を枡形といい、本丸を厳重に守っていました。良好に残っていた門礎石をそのまま利用し、 絵図面などから、挧葺(とちぶき)(板葺)で切妻屋根の姿を忠実に復元しました」とあります。
戌亥(いぬい)の櫓台より「北不明門」を見た風景です。
北不明門
本郭北側の小口が北不明門で、こちらも太鼓門と同様に枡型で内門が櫓門になっています。
本丸御殿跡
明治4年の廃藩置県後、松代城は一時「松代県庁」として使用されたが、同年松代県は長野県に編入となり、明治5年に廃城となりました。
市道40号松代西線
左の白壁の塀は、真田勘解由家(かげゆけ)の塀になり、右の建物は、2000(平成12)年に現在の場所に移築復元された松代中級藩士・白井家の表門になります。正面の建物は
松代藩文武学校の剣術所になります。