全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。新潟県の風景になります。


五重塔    新潟県燕市長辰    (2015年8月撮影)
道の駅国上の裏手にあった酒呑童子神社(しゅてんどうじじんじゃ)は、この分水町に生まれ育った酒呑童子伝説にちなむ神社のようです。酒呑童子は諸説あり長いので説明は割愛させてもらいます。

大河津分水路 新潟県長岡市寺泊野積    (2015年8月撮影)
水の勢いを減らす為の障害物「バッフルピアー」が置かれています。
野積橋
昨日のブログに載せた信濃川を分水して出来た大河津分水路は、橋の先で日本海に流れ込みます。
魚の市場通り    新潟県長岡市寺泊下荒町    (2015年8月撮影)
通称「魚のアメ横」と呼ばれる海産物市場が軒を連ねている場所。賑わっていますね。
あいびす    新潟県長岡市寺泊片町    (2015年8月撮影)
佐渡汽船の赤泊港(佐渡市)ー寺泊港(長岡市)航路が、2018年に定期運航を終了し廃止になったことにより、高速船「あいびす」はフィリピンの企業船会社「アティエンザ・インターアイランド・フェリーズ」に売却されたようです。
中央海水浴場    新潟県長岡市寺泊上田町    (2015年8月撮影)
ここは魚の市場通りが近くにあるので買い物が楽ですね。
夕ぐれの岡 新潟県燕市中島    (2015年8月撮影)
良寛が托鉢の道すがら、よく足を止めたとされる場所のようです。
五合庵    新潟県燕市国上
寛政5年(1793年)、各地での厳しい修行を終え、越後に戻った良寛40才の頃から約20年過ごした庵。
千眼堂吊り橋
燕市国上にある朝日山展望台と五合庵を結ぶ長さ124mの遊歩道。
良寛像
良寛は、江戸時代後期の曹洞宗の僧侶、歌人、漢詩人、書家で、この像は上の写真の橋を渡った「朝日山展望台」にある。
乙子(おとご)神社草庵
五合庵の老朽化と朝夕の山坂の登り降りが老身にこたえ、良寛は文化13年(1816年)から約10年間、五合庵より下に位置する乙子神社社務所に移り住んだようです。この草庵は昭和62年に再建されたもの。
お春瞽女(ごぜ)の碑    新潟県出雲崎町久田    (2015年8月撮影)
昭和22年の秋、盲目の「お春」が門づけ(人家の入り口に立って三味唄などを唄い、生計を立てる)をしながら町を歩いていた。しかし、その年の冬は大雪で、お春は出雲崎から帰る途中、久田の先の砂山で吹雪のため倒れそのまま死んでしまったと云う。 この話を聞いた洋画家斎藤真一氏が昭和50年宿跡に「お春瞽女之碑」を建立された。碑文は作家の今東光師(当時は平泉中尊寺住職)の揮毫です。ちなみに「瞽女」とは盲目の女性の事のようです。
雪囲いの家    新潟県出雲崎町久田    (2015年8月撮影)
こちらは石川県の「間垣」と違う作りですね。
出雲崎町フィッシングブリッジ 新潟県出雲崎町羽黒町    (2015年8月撮影)
いずもざき海遊広場の釣り用離岸堤を結ぶ橋
良寛像 新潟県出雲崎町石井町    (2015年8月撮影)
良寛誕生の地「橘屋跡」にある像。