全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。今日から滋賀県の風景になります。



琵琶湖大橋    滋賀県大津市今堅田    (2014年6月撮影)
後日またこの橋を載せるので説明はその時に載せる予定です。

琵琶湖大橋から見た道の駅琵琶湖大橋米プラザ
今堅田漁港
ワカサギ・ホンモロコ・イサザ・スジエビ・フナ・スゴモロコ・アユなどがとれるようです。
出島灯台
この付近は、琵琶湖がもっとも狭まったところで岩礁も多く、1875年(明治8年)に客船「満芽丸」の転覆で乗客47人が亡くなる水難事故が発生した。これを受けて、同年に近くの船会社により出島灯台が建てられたようですが、1951年(昭和26年)にその役目を終え、今はモニュメントとして修復保存されているようです。
烏丸記念公園    滋賀県草津市下物町(2014年6月撮影)
琵琶湖の烏丸半島の入口にある公園で、開発事業の竣工を記念して造られた。 広い園内には「琵琶湖とその水で潤う近畿」をテーマとした高さ15mのアーチ形モニュメントがあります。
琵琶湖    滋賀県草津市下物町    (2014年6月撮影)
真珠養殖イカダがありました。
八尾神社    滋賀県守山市千代町    (2014年6月撮影)
この頃は、神社にある狛犬の写真を撮るのに夢中に なっていたために
この神社に来たら「収穫祭」の巫女の舞いが奉納されていました。
ただし、この頃は旅に出始めたばかりなので、写真には「八尾神社収穫祭」だけのメモしかなく、住所が後日の調べなので違っていたらごめんなさい。
源義経元服池    滋賀県蒲生郡竜王町    (2014年6月撮影)
承安4年(1174年)、当時遮那王(しゃなおう)と名乗っていた幼少の源義経は京都の鞍馬寺を出て、奥州を目指す途中鏡の宿に差し掛かり、この地で元服をしたといわれています。元服池はそのとき義経が清水を用いて前髪を落とし、侍姿を水面に映したものといわれています。
源義経烏帽子掛けの松
承安4年(1174)3月3日鏡の宿で元服をした牛若丸は、この松枝に烏帽子を掛け鏡神社へ参拝し源九郎義経と名乗りをあげ源氏の再興と武運長久を祈願したのであった。明治6年(1873)10月3日台風により折損したため幹の部分を残して保存し後世に伝えるものなり。説明板より
源義経宿泊の館跡(白木屋)
承安4(1174)年3月3日に京都の鞍馬寺より奥州下向の途中鏡の宿に着いた牛若丸一行は、当時の宿駅の長であった澤弥伝の「白木屋」の旅籠に泊まりました。追っ手の目を欺くため、急ぎ髪を切り一人でで元服することを決意した牛若丸は、源氏の左折れ烏帽子を烏帽子屋五郎太夫に折ってもらい、それを冠して元服し源九郎義経となりました。
墓地    滋賀県竜王町鏡    (2014年6月撮影)
墓石が見当たらなかったので、今時の墓地では珍しいと思い写真に撮ったような気がします。
東近江市埋蔵文化財センター    滋賀県東近江市山路町    (2014年6月撮影)
市内に約520カ所ある遺跡の発掘調査および出土遺物の整理作業と展示を行ってい場所。
銅鏡
展示物の一部です。