全国都道府県を巡った旅の思い出を、時には思い出しながら県別に整理をしています。和歌山県の風景になります。


那智の滝への道    和歌山県那智勝浦町那智山    (2016年1月撮影)
那智勝浦に行ったらやっぱり滝を見ないとね。

那智の滝
水柱は落差133mあり、滝壺の深さは10m、落ち口の幅13mと説明されていますが、自分の行った時は水量が少なく幅は狭かったですね。また、落ち口の岩盤に3つの切れ目があって、三筋になって落下し始めるところから、「三筋の滝」ともよばれているようですが、ここも一筋で落ちていました。落差は日本一のようです。
青岸渡寺(せいがんとじ)への道
滝の後は三重の塔と滝のコラボの
青岸渡寺 三重塔
この写真を撮らないとね。滝の水量はちょっと少ないけど、天気に恵まれたのはラッキーでしたね。
青岸渡寺
本堂は天正18年(1590)に豊臣秀吉が再建したもので、国の重要文化財に指定されているようです。
熊野那智大社
もともと那智の滝を中心にした神仏習合の一大修験道場だったが、明治初期に青岸渡寺と那智大社に分離しが、今も寺と神社は隣接しいる。これって一神教を基盤の国の人達から見たら不思議に見えるでしょうね。お陰で宗教対立の大きな内戦は起きてないよね。日本って太っ腹というか寛容だよね。

那智の樟(タブの樹)

立て札には、和歌山県指定天然記念物「タブノキ」通称いぬぐす(犬樟)クスノキ科タブノキ属の常緑高木、樹齢約七百年とだけありました。

大門坂
石畳が美しい熊野古道の「大門坂」を上り、熊野那智大社、那智の滝へと向かう「おいしいとこ取り」のコースが有ったようですが、自分は滝から見ると言う逆コースを行ったみたいですね。
松ノ丸への階段    和歌山県新宮市新宮    (2016年1月撮影)
ここからは「新宮城跡」の散策になります。
本丸西面の石垣
右奥は本丸にあったという天守閣の石垣。天守脇一段下の曲輪(手前)に建つのは現代のトイレ
本丸跡石垣
戦国時代末期、豊臣秀吉の甥浅野幸長の一族、浅野左近大夫によって本格的に建設が始まり
本丸跡
1615年(元和元年)の一国一城令で廃城となりますが、1618年(元和4年)に再び築城しています。
水ノ手跡と熊野川
その後、徳川頼宣が紀州藩主として入国して以降は、付家老・水野重仲が城主となり
出丸跡と熊野川
水野氏の居城として明治維新を迎えました。その後私有地となり
鐘の丸跡
かって、ここには旅館が営業された時代があったようです。