全国都道府県を巡った旅の思い出を県別に整理をしています。京都府の風景になります。


東本願寺玄関門 京都府京都市下京区常葉町 (2015年11月撮影)
明治44年(1911年)建立の大型門。猫が門番をしていましたよ!チビでは無いですよ(笑)

東本願寺案内図
右側にある昨日のブログの内事門、宗務所門から手前の烏丸通りの歩道に出ると
京都タワーと御影堂門
京都タワーが見えたので一枚パチリ。また、手前の松の木に隠れている門が
菊門(勅使門ちょくしもん)
この門は1911年(明治44年)に宗祖650年遠忌事業として、京都府の技師・亀岡末吉の設計によって再建されました。 一般的に勅使門は天皇の使者・勅使が寺院に参向した際に出入りに使われる門です。
御影堂門
京都の長州藩兵と幕府側諸藩兵との戦い蛤御門の変による焼失の後、1895(明治28)年に再建されたもの。
御影堂門裏側
正面21m、側面13m、高さ27mで、木造建築の山門としては世界最大級であり、木造建築の二重門としては、日本一の高さと言われいるようです。
御影堂門横側
京都タワーを入れて撮って見ました。
阿弥陀堂
御本尊・阿弥陀如来を安置するお堂も、1895(明治28)年に再建されたもの。
御影堂(ごえいどう)
宗祖親鸞聖人の御真影(ごしんねい)を安置する真宗大谷派の崇敬の中心をなす重要な建物です。現在の御影堂も1895(明治28)年に再建されたもの。
造合廊下(つくりあいろうか)
御影堂と阿弥陀堂の間を繋ぐ2筋の廊下のうち東表側にあるもの。
大橇(おおそり)
明治16(1883)年、新潟県刈羽郡より切り出したこの寺の木材を運ぶ道中に雪崩に遭い、27名の死者と50名以上の負傷者を出すという惨事があった、その際に使用されていた橇のようです。
阿弥陀堂門
菊門と同じ1911年(明治44年)に再建されたものです。基本的にこの東本願寺は、京都の長州藩兵と幕府側諸藩兵との戦い蛤御門の変による焼失の後、1895(明治28)年に御影堂・御影堂門・阿弥陀堂が再建されて、他の門は1911年(明治44年)に宗祖650年遠忌事業として再建された建物のようですね。
七條大橋 京都府京都市東山区
明治44年(1911)に起工され、大正2年(1913)に竣工された5連の鉄筋コンクリートアーチ橋で鴨川に架かる最古の橋のようです。
鴨川
七條大橋より見た鴨川です。
京都タワー    京都府京都市下京区上之町
塩小路通りより、なぜ暗くなる時間帯(PM6半頃)にここを通ったか記憶に無いが、結果的にこの夜景が撮れましたね。この時期は手持ちで夜景撮影のために結構苦労していると思います。