全国都道府県を巡った旅の思い出を県別に整理をしています。鳥取県の風景になります。

白兎海岸    鳥取県鳥取市白兎 (2016年5月撮影)
昔、淤岐ノ島(おきのしま)に流されたうさぎがワニザメをだまして気多の崎(気多岬)まで渡ろうとしたが、だまされたことに気がついたワニザメに皮をむかれて苦しんでいる時に、大国主命が通りかかり「真水で身体を洗い、ガマの穂にくるまっていなさい」と言われ完治したという神話「因幡の白うさぎ」の舞台といわれている海岸。
淤岐ノ島(おきのしま)
白兎海岸の沖合いにある島
淤岐ノ島
ウサギ(白兎神)が大水で流れついたと云われている島。
夕日  古事記の『因幡の白兎』の神話
オオクニヌシ神の若い頃の名をオオアナムヂ神といい、たくさんの兄弟神たち「八十神」がいました。オオアナムヂ神の兄弟神たちである八十神たちは、ヤカミヒメに求婚をするために、オオアナムヂ神に大きな袋を背負わせてイナバに出かけました。八十神が気多の岬にたどり着くと、そこに赤裸のウサギが倒れていました。八十神はそのウサギに「海水を浴びて、吹く風に当たって、高い山の頂に伏せていなさい。」といって、去って行きました。
気多(けた)岬(気多の岬)
ウサギは八十神の教えのとおりに海水を浴びて山に寝ころんでいると、塩が乾くにしたがって、身体の皮が風に吹かれて傷だらけになってしまいました。ウサギがあまり痛みに耐えかねて泣いているところへ遅れてオオアナムヂ神がやって来ました。「どうして泣いているのだ。」オオアナムヂ神はウサギにたずねました。ウサギは答えました。「わたしは淤岐島にいて、この地に渡ろうと思いましたが、渡る方法がありませんでした。
大国主命と因幡の白うさぎ
そこで、海に住むワニをだまして『わたしとあなたと、どちらが仲間が多いか競べてみないか。わたしが数えるからあなたは、自分の仲間を集めて、この島より気多の岬まで並んでほしい。わたしが、あなたたちの背中を渡って、どちらが多いか数えよう。』といいました。こうしてワニをだまして、海を渡り終えようとした時、『おまえたちはだまされたんだよ。』ワニに言ったところ、言い終える間もなく、岸の最も近くにいたワニに捕まって毛をはがれてしまいました。
白兎神社
赤裸になったわたしが泣いていると、そこに八十神が通りかかりましたので、八十神の教えのとおりに、海水を浴びて風に当たっていると私の身体が傷だらけになってしまいました。」それを聞いたオオアナムヂ神は、「すぐに河口に行って、真水で身体を洗い、蒲黄(かまのはな)を摘んで来てその上に寝ころべばおまえの身体は治るだろう。」といいました。ウサギがオオアナムヂ神の教えのとおりにすると、ウサギの身体は元通りに治りました。そのウサギは、オオアナムヂ神にいいました。「八十神はヤカミヒメを妻にすることはできないでしょう。たとえ大きな袋を背負っていてもあなた様が、ヤカミヒメの心を得られるでしょう。」  以上
菊座石
白兎神社本殿の基礎石(6ヶ)には菊の紋章(28弁)が彫刻されており、全国的にも珍しく神社創設が皇室と何らかの関係があったものと言われているそうです。
御手洗池(みたらしいけ)
神話「因幡の白うさぎ」に登場する白兎神が、傷口を洗い蒲の花を採って傷につけられ、全治したと伝えられる霊池です。雨が降っても降らなくても水位の増減がないとされる為、「不増不減の池」とも呼ばている不思議な池でもあります。池の周囲は100mほど
恋島
大国主命八上姫が恋を語り合った場所と云われます。
石灯籠
この石灯篭は、安政五年(1858年)に地元の若衆によって建てられました。チビは恋島に上陸です。
長尾鼻 鳥取県鳥取市気高町日光 (2016年5月撮影)
浜村温泉海水浴場方面を龍見台より。
浜村海岸
同じく龍見台より。
覗岩 鳥取県鳥取市気高町八束水 (2016年5月撮影)
魚見台にて、チビの凛々しい姿をパチリ。
船磯漁港
ここ魚見台は昔イワシの大群が押し寄せて来た時に、老漁師が大声で指示していたことから名付けられました。この魚見台から見下ろす浜村海岸は、帆立貝が30~50年周期に大発生し、帆立貝をとるため、重いじょれんとよばれる道具を船で引いていました。その漁の労働歌が「貝殻節」で、この魚見台には歌碑も建っています。