日坂を登ったちょっと先になる。日坂は急な坂のために別道でここに来たら
幼稚園の子供達が日坂を上って来て「夜泣き石」の物語を先生から聞いていた。
歌川広重の絵には道のまん中に有るが、現在石碑があるのは右側にある木の下あたりになる。
夜泣石跡
妊婦の霊魂が移り泣いたという石(夜泣石)が、明治元年までここの道の中央にあったが、明治天皇御東幸のみぎり道脇に寄せられた。その後明治初年東京で博覧会があり、出品された帰途、現在の位置に移る。ここでいう「現在の位置」とは、国道1号線「小夜の中山トンネル」の手前(東京側)の道路脇。夜泣き石の物語は明日のブログで、夜泣き石と共に載せる予定です。
松尾芭蕉句碑
旧東海道の脇には何ヵ所か芭蕉の句碑が立っている。その内の一つです。
松尾芭蕉句碑
「馬に寝て 残夢月遠し 茶のけぶり」 松尾芭蕉 野ざらし紀行
(早立ちの馬上で、馬ともども目覚めが悪く残りの夢を見るように、とぼとぼと歩いている。有明の月は遠くの山の端にかかり日坂の里から朝茶の用意の煙が細く上がっている)
涼みの松跡 小夜の中山(静岡県掛川市佐夜鹿)
小夜の中山夜泣石のあった駅路の北側に大きな松があり、松尾芭蕉がこの木の下で「命なりわずかの かさの下涼み」と詠んだと言います。それよりこの松を涼み松と称されるようになりました。この句は延宝四年の「江戸広小路」に季題下涼み夏に記され帰京の途次の作と記されています。チビが乗っているのが句碑です。今は松はないですね。