山上古墳
群馬県高崎市山名町山神谷にある山上古墳は7世紀中葉(飛鳥時代)に築造された山寄せの型円墳で円墳の大きさは直径約15m、高さ5m、石室の全長は約6mで先端部分が「コ」の字に彫り込んでい
現代語訳
辛巳年10月3日に記す。
佐野三家(さののみやけ)をお定めになった健守命(たけもりのみこと)の子孫の黒売刀自(くろめとじ)。これが、新川臣(にっかわのおみ)の子の斯多々弥足尼(したたみのすくね)の子孫である大児臣(おおごのおみ)に嫁いで生まれた子である長利僧(ちょうりのほうし)が、母の為に記し定めた文である。放光寺の僧。
山上碑の横姿
この石碑は681年(天武天皇10年)に立てられた日本最古級の石碑で、高さ111cmの輝石安山岩の自然石に53字が刻まれている。放光寺の僧である長利が、亡き母の黒売刀自を供養するとともに、母と自分の系譜を記して顕彰したもの。
金井沢碑館
群馬県高崎市山名町にある金井沢碑には
金井沢碑
上野国群馬郡下賛郷高田里 三家子■為七世父母現在父母 現在侍家刀自他田君目頬刀自又児加 那刀自孫物部君午足次蹄刀自次若蹄 刀自合六口又知識所結人三家毛人 次知万呂鍛師礒マ君身麻呂合三口 如是知識結而天地請願仕奉
石文 神亀三年丙寅二月廾九日 (※■は欠字)と彫られている。
石文 神亀三年丙寅二月廾九日 (※■は欠字)と彫られている。
金井沢碑現代訳語
上野国(こうずけのくに)群馬郡(くるまのこおり)下賛郷(しもさぬごう)高田里(たかだのさと)に住む三家子■が(発願して)、祖先および父母の為に、ただいま家刀自(いえとじ、主婦)の立場にある他田君目頬刀自(おさだのきみめづらとじ)、その子の加那刀自(かなとじ)、孫の物部君午足(もののべのきみうまたり)、次の蹄刀自(ひづめとじ)、次の若蹄刀自(わかひづめとじ)の合せて六人、また既に仏の教えで結ばれた三家毛人(みやけのえみし)、次の知万呂、鍛師(かぬち)の礒部君身麻呂(いそべのきみみまろ)の合せて三人が、このように仏の教えによって(我家と一族の繁栄を願って)お祈り申し上げる石文(いしぶみ)である。神亀3年丙寅(へいいん)2月29日