免許更新に関して「高齢者講習」というのが有りまして、自分は旅をしていてその通知での運転教習所の予約が取れず、更新センターに電話をしてようやく取れたのが7月26日になってしまった。天気もイマイチ悪く旅にでにくなっていたが、26日まで時間があるので近場に出かける事にした。ただ高齢者講習というのは、運転免許を取る人口が減ったため、高齢者から金を搾り取る手段に過ぎないと思う制度であると考えざるを得ない。

千曲川
長野県上田市下塩尻より「岩鼻」を望む。
「岩鼻」という名の由来については、そびえる巨岩が今にも落ちそうにして千曲川に迫っている様子から、あるいは外観が人間の鼻の形に似ているからとも言われる。 
和合城跡(村上氏連珠砦)
長野県上田市下塩尻より、鉄塔のある辺りが太郎山城砦群の西端の尾根末端、塩尻岩鼻の絶壁の上にある山城。その山城の
しなの鉄道
下を国道18号線を挟んで電車が走る。
一里塚橋
長野県坂城町南条にちょっと気になる標識があったのでよってみると
旧北国街道 鼠宿跡
この道が北国街道の「鼠宿跡」である事がわかった。すぐ右側は国道18号線で若い頃から良く車で走っている道である。
説明文
この鼠宿は「真田信之」が関わっていると書かれている。この歳まで知らなかった。
會地早雄神社(おおじはやおじんじゃ)
近くには説明文に書かれている神社があるでよってみた。神社の左側にある大きな岩が気になったので近くに行ってみた。
そこには石碑と小さな祠が置かれていた。普通この位大きな岩だと何かしらの伝説があるのだが、この神社には
御神木
大きなケヤキの説明や神社の説明など一切無かった。
天平勝宝七歳の石碑
また、神社の入り口付近にあるこの石碑にも「石碑保護のため拓本を取らないで」というような古びて字の読め無い木片があっただけである。
ただ、この石碑に書かれている「天平」の文字が気になり「天平勝寶七歳二月十六日」を調べてみると西暦755年で1264年前になる。天平勝宝(てんぴょうしょうほう)は天平感宝の後、天平宝字の前。749年から757年までの期間。

天平勝寶年の出来
天平勝宝2年 第十二次遣唐使、藤原清河を大使、吉備真備・大伴古麻呂を副使に任じる。
天平勝宝4年 東大寺盧舎那仏像開眼供養会。再び佐渡国を建てる。
天平勝宝6年 唐より鑑真が来日。この石碑の一年前である。
天平勝宝8年 聖武天皇の遺品を東大寺に納める(正倉院の始まり)。正倉院はこの石碑の後で正倉院よりも古い石碑である。

ただただ1200年前の文字が読める事に感謝。そして、この石碑が末代まで残り読めて風化しないように、もっと厳格に管理してもらいたいと思うのは私だけでしょうか?
石碑の内容
防人(さきもり)「神人部子忍男(かむとべのおしを)」の作「天平勝寶七歳二月十六日 知波夜布留賀美乃美佐賀尓怒佐麻都里伊波負伊能知波意毛知々我多米 主帳埴科郡神人部子忍男」歌(ちはやふる 神(かみ)の御坂(みさか)に 幣(ぬさ)奉(まつ)り 斎(いは)ふ命(いのち)は 母父(おもちち)がため)  万葉集 巻20-4402