「加茂ぉ。」
監督に呼ばれると加茂さんは監督の前で直立不動になった。
「何回いわせるんやっ。」

監督は車のドアを開け、加茂さんは監督に背を向け一歩右に、後に思えば加茂さんなりに気を使ったポジション取り、そして加茂さんにとっては、一連の流れかのように見えた。
監督は手に持った杖を加茂さんのお尻に目一杯叩きつけた。
加茂さんは悶絶し、二三歩片足で跳ねて、そのままポジションであるショートに戻っていった。

少年の僕は目をずる剥けにして、ボーっと見ていた。

「こんな感じやけど、入るか。」
嫌ににやけた顔の監督に、本心では無い言葉が出た。
「ハイッ。」
僕はクリスマスの時もそうだが、自分に嘘つきだ。
クリスマスの時と違うのは、心底自分が恨めしい事だ。
夢地がちな少年だった僕は、翌日だっただろうか、見学に赴いた。
「君が山本君か。今日はゆっくり見て行きなさい。」
監督のビジュアルとはアンバランスな優しい一言。
監督は小学校2年の僕が見ても明らかなヤクザ顔だった。
僕を連れてきた、高学年の少年は加茂という名前で、部員を紹介した事によって得られる事になっていたんであろう500円玉をにこやかに僕の目の前で受け取っていた。
監督はグラウンドから車の中に入ったまま、少年達に指導を行っおり、夢見がちな見学の少年もその光景に違和感を覚えた。
グラウンドに車。
車の中の監督。
その理由は恐怖とともにすぐ分かった。
そんな慎ましい僕が自発的に頼んだ事がある。
「お母さん、野球部に入ってもええ?」



ちょっとだけさかのぼる。
僕が、家の近くで壁当てをしてる時だった。「君は野球が好きなんか?」
小学校の高学年位の、お兄さんに話かけられた。
「今度、よかったら見学に来ない?」
僕は人見知りの少年だったが、二つ返事でハイと答えた。
僕にとっては魅力的で願っても無い誘いだった。
団地の野球では、糞ボールでストライク。 ちゃんとした、不公平じゃない野球をしてみたいと思っていた。
本当は皆より上手いんだと勝手に思っていた。
上手いからプロ野球選手になるんだと思っていた。



少年時代の脳味噌は都合の良い断片から構成されていて、あれや、これやと自分の中で妄想を膨らまし、その妄想を信じている。
自分は何にでもなれると信じれるエネルギーは大人になると持ち合わせなくなる。
少年時代に持つ夢は誰も馬鹿にはしない。
可能性が低い夢でも、未知の可能性が子供には秘めているからだ。
大人になると、何もかも口に出すのを憚られる。現実的な夢を見、現実という狭い枠内に可能性を押し込む。