大阪歴史博物館とNHK大阪放送局の建物の下に、飛鳥時代の遺構が残っていますキラキラ

 

大阪歴史博物館(以下、歴博と略します)の入口1階のガラス床の下に見えます目

 

ここは無料でだれでも見学できますラブラブ

 

 

歴博の学芸員さんによる遺構見学ツアーガイドがあり、初参加させてもらいました音譜

 

説明を聞きながら、遺構を見学でき、大変わかりやすいツアーガイドでしたグッ

 

ガラス床をのぞくと、柱の跡があります目

 

飛鳥時代(7世紀中頃~後半)の掘立柱の跡だそうで、発掘当時の状態で残しているそうです。

 

 

 

柱穴は、約1.2mの四角い形をしていて、3mおきにあるそう。

 

掘立柱はこんな感じ↓

画像はおかりしました

 

22の柱穴があり、この建物は140㎡くらいの大型の建物だったそうです。

 

おそらく周辺の倉庫で物品の出し入れを管理する施設だったのでは、ということです目

 

イメージ図

 

645年乙巳の変(クーデター)が起こり、飛鳥にあった都は難波に移されました。

 

それが難波宮(なにわのみや)

 

大化の改新が行われたのは難波宮だったそうです。

 

孝徳天皇によって造られた難波長柄豊碕宮(なにわながらとよさきのみや)が前期難波宮といわれます。

 

孝徳天皇の死去で都はまた飛鳥に戻ります。

前期難波宮は686年には焼失したとのことで、短い期間の都でした。

 

その後、奈良時代 聖武天皇の時代(8世紀後半)に後期難波宮が造営されました。

 

前期難波宮とほぼ同じ場所です。

 

宮殿跡は歴博からすぐ近くの場所にあり、難波宮史跡公園となっています。

また歴博の10階から眺めることができますラブラブ

 

歴博とNHK大阪の間のアトリウム広場の床に、飛鳥時代の倉庫の柱があった場所を表しています。

 

丸い模様の所が倉庫の柱跡だそうです目

 

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先日、どうする家康巡回展をここで見ましたが、床下には古代の遺跡が眠っていたのですね~

 

知らなかったぁ爆  笑

 

建物の外にも柱跡が記されています。

 

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また塀の柱も発掘でわかっていて、それも記されています。

 

車があがってくる坂道にも爆  笑

 

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いよいよ地下へ降りて飛鳥時代の柱跡を見学しますアップ

 

 

円筒の光っているところが倉庫の柱があった場所です。

 

 

並び倉と呼ばれる倉庫が整然と並んでいたのがわかりますね目

 

 

 

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発掘したところは1m以上の砂を盛って保護し、その上に歴博とNHKの建物を建造したそうです。

 

だから、歴博とNHKの1階は、周辺よりも高くなっていたんですねグッ

 

 

さて、ツアーガイドはまだ続きます。

今度は歴博の南側へ行きます。

 

こちらには法円坂遺跡と呼ばれる大型倉庫群の跡が見られます。

 

 

これ、実は前期難波宮よりもさらに250年も前の古墳時代中期の話ですビックリマーク

 

16棟の倉庫群跡が見つかったそうです。

1棟の床面積が約90㎡もあるそうびっくり

 

1棟が復元されています目

 

 

 

 

ここは上町台地の上。

大きな建物をつくったのは、権力を見せつける役割があったのではということです。

 

円柱はすべて倉庫の柱ですグッ

 

 

法円坂遺跡は前期難波宮よりもはるか前の時代のものだったとは、これまた驚きました。

 

難波宮を知るよい勉強になりましたウインク

 

歴史博物館の遺構見学ツアーは約30分で無料です。

おすすめです音譜