GW最終日は、野崎まいりへ行ってきました音譜

 

 

野崎まいりとは、

「野崎の観音さん」と親しまれている

大東市にある野崎観音 慈眼寺(じげんじ)の

無縁経法要に参拝すること。

 

毎年5月1日から8日に法要があります。

 

それにあわせて、野崎駅からの参道に

約200軒の露店が立ち並び、

境内でもイベントが行われ、

多くの人出でにぎわいます音譜

 

しかし今年も感染拡大防止のため、

露店及びイベントは3年連続中止となりました汗

 

御開帳はあると知りましたので、

お参りだけでも行きたく、出かけてきましたラブラブ

 

JR学研都市線 野崎駅より徒歩10分くらいです。

 

 

露店は1軒もなく、通りは人もまばらでした汗

 

 

 

石段約150段、一気に登ります口笛

山門に到着です音譜

 

 

 

 

ご本尊は十一面観世音菩薩(平安中期)です。

 

本堂にあがることができました。

 

「のざきまいり 結縁祈願お守り」

というのがありました。

 

 

このプレートの裏側に願い事と名前を書きます。

 

プレートを左から1/4のところで割ります。

願い事を書いた大きい方(右側)を自分で観音様の結縁紐に通します。

(プレートに紐を通すための穴があいています)

 

小さい方(左側)はお守りとして持ち帰ります。

 

 

結縁紐は、6カ所、天井からぶら下がっていました。

 

この結縁紐の行方を見ると、天井で1本になり、紐は

観音様の手に結ばれていました。

 

 

観音様は優しいお顔をされていましたキラキラ

 

御焼香させていただきました。

 

 

野崎観音 慈眼寺は、安産子授け・縁結び・開運厄除にご利益があります。

 

本堂の軒下には張り子の戌がたくさんつり下げられていましたびっくり

 

お礼参りに奉納されたお守りの張り子戌だそうです。

 

 

 

 

私がお参りしている間にも、新生児を抱いたご家族がお初参りに来られていました。

 

 

さて、野崎まいり、

これは江戸時代から300年以上も続いているそうです。

 

江戸時代、大阪城の北にある八軒家浜から屋形船に乗り、

寝屋川をさかのぼり、徳庵で田舟に乗り換え、観音浜で下船、

菜の花の中をのんびり歩いて参詣したそうです音譜

 

1740年の大和川付替え以降は、池が陸地になり、

その中を水路が通り、船や徒歩で行けるようになりました。

 

土手の上を歩いて参詣する人たちと

舟で詣でる人たちで口喧嘩をしながら、

道中を楽しむ風習があったと言われていますびっくり

 

 

その様子を落語の「のざきまいり」を聴くと、

情景が浮かんできますよ~ラブラブ

 

落語「のざきまいり」

三代目 桂春團治師匠の十八番芸ですキラキラ

 

 

 

そして、昭和10年にヒットした

東海林 太郎(しょうじ たろう)の「野崎小唄」

 

ルンルンのざきまい~りは~ 屋形船でまい~ろ どこを向いても菜の花ざかりルンルン

 

 

 

明治28年に片町線が開通して、船での参詣はすたれ、

昭和の初期にはほぼ舟はなくなったそうです。

 

現在は住宅地で、江戸時代の風景は全くありませんが、

落語や小唄を聴いて、情景を想像しながら、お参りにいくのもいいものです音譜
 

 

慈眼寺の後、近くにある大東市歴史民俗資料館へ寄りました。

 

 

江戸時代の野崎観音の絵図

 

 

御本尊 十一面観音像の説明もありました。

 

 

特別展のメイン展示はちょっとビックリしましたビックリマーク

 

 

慈眼寺所蔵の涅槃図に描かれている動物を

なんと、剥製などを使って解説していましたびっくり

 

イノシシ、キツネ、タヌキなどの剥製

 

そして、ウマの骨(下あご)は、なんと寺川遺跡(大東市)の遺構で

発見された古墳時代のウマの骨の展示でした目

 

慈眼寺所蔵の涅槃図は、毎年2月に本堂内で公開してくれるそうですキラキラ

 

 

はじめての野崎まいり、よいお参りをさせていただきました。

そしてたくさん勉強できましたチューラブラブ

 

これで大阪検定に出題されても、ばっちりですウインク