<タマキさんに恋をした件>

その日の千ケ滝公園は晴天なのだが、なぜか全体的に色が抜けた昔の写真みたいな景色だった。人がたくさん歩いていて、きっと公園のどこかで何かのイベントが行われているのかもしれない。それにしてもよくもまあ、こんな田舎にこんなに人が集まったものだ。

さっきから僕の目の前を歩いているのはタマキさんだ。タマキさんは吹奏楽部の二年先輩、つまり三年生。三年生の中でも際立って大人びているので、ときどき「おばさん」に見えることすらある。僕にはよくわからないけれどもきっとお化粧なんかもしているのだろう、いつもいい香りがしていて、今もそれが風に乗って漂っているのだった。

そのとき、タマキさんは急に振り向いた。

「トシミツ、もう少し歩こう」

「はい」

もう少し歩こうもなにも、さっきからただひたすら僕たちは歩きつづけているのだけれど。

吹奏楽部の中で僕は、先輩たちにはトシミツと名前で呼ばれているのだが、呼び捨てにするのは男の先輩とこのタマキさん。でも、彼女にそう呼ばれるのは嫌いではない。さらにタマキさんは部活の中で、けっこう僕のことをまるで子分か手下みたいにあしらうのだった。

「トシミツ、チューニングをもっとちゃんとしろ」「トシミツ、眠そうな顔しているぞ、顔洗ってこい」「トシミツって目と目の間が離れているな」

不思議なことに、他の一年生はタマキさんから誰もそんな扱われ方はされないし、それどころか他の部員は僕と彼女とのそんなやりとりを楽しんでいるかのように見えるときもあったりする。もっと不思議なのは、僕自身がタマキさんにそう言われるのをどこか喜んでいるような気がするのだ。新たな疑惑、僕ってマゾ?

目の前を歩いているタマキさんは、ただ黙々と歩いているだけなので、なんとなく手持無沙汰の僕は何か言わなければと思った。

「タマキさん」「うん?」「もうすぐ卒業ですね」「そうだね、卒業したらもうトシミツとは会えなくなるよね」

え?どういうこと?それにいつもの口調ではない、まるで女の人だ、いやいや、タマキさんは女だから、などと必要以上に焦っていた。するとタマキさんは僕の腕に自分の腕をからませ、身体をぴったりと寄せてきた。

「今日はこうして歩こうよ」

ああ、なんかすごいことに…とか思った瞬間に目が醒めた。

すぐに夢だったのかと思って、その一秒後にがっかりした気分になった。さらにもう一秒後には何か今まで憶えのない気持ちが僕を覆うのであった。なんだろうこれは、タマキさんに会いたい、とても会いたい、大好きだ…こんなの初めて、だけど変なの。

 

もう三学期も半ばを迎え、三年生は卒業を間近に控えてところだ。もちろんタマキさんもこの学校を離れていく。あの夢から何日経っても、恋しい気持ちは薄れることはなかった。去年の秋をもって三年生の部活は終了しているので、それ以来はほとんどといっていいほどタマキさんには会っていない。タマキさんの教室へは渡り廊下でつながった別校舎まで行かねばならず、そこはほとんどが女子の商業科であって、普通科の気の小さい男子にとってはパスポートとビザと通行手形がなければたどり着けないくらいの難所なのだ。

「トシミツ、何かあっただろう」と、いきなりムラタにいわれた。こいつに気づかれるくらいなのだから、よっぽど落ち込んでいるように見えたみたいだ。

「え?なんでわかる?」

「お前は、自分がわかりやすい人間だって自覚はないのか」

「いや、ちょっと、タマキさんがさ…」

「タマキさんって、あのおばさんみたいな?」

「おばさんじゃないだろ、ちょっと大人っぽいだけだろ」

「何をムキになっているんだよ」

そこで僕は、今朝の夢をできるだけ再現をして話した。どこかにオチがあるのだろうと思って聞いていたムラタだったが、なかなかそうはならないので、途中から真面目に聞く姿勢になった。それで僕はついつい、夢を見終わった後の切ない恋心みたいなものまで吐露してしまったのだ。

「こんな話を聞いたことがある」と知った顔のムラタは云う。

「なんだよ」

「夢に出てくるのは、会いたい気持ちを伝えるためなんだって」

「ん?タマキさんは僕に会いたくて夢に出てきたってこと」

「そう、夢の中でそんなこと言ってなかった?」

「うん、それが妙に具体的過ぎてさ」

「なんて言ったんだ?」

「いや、言えない」

「何を照れているんだよ、お前が言ったのではなくて、言われたんだろ?」

「…卒業したらもうトシミツとは会えなくなるよね、って」

「あのタマキさんが?」

「でもさ、あの人ってなんか大人っぽいでしょ、だからなんていうか妙にこう…」

「タマキさんにそんなこと言われたのか」

「夢のことだから、そのうち忘れるよね」

「それはどうかな。ところでトシミツさ」

「なに?」

「お前、まだ童貞だろう」

「うるせー、関係ないだろ」

「はは、関係ないけどいいじゃん、俺もだから」

結局、ムラタに告白しても何も解決はしなかった。(つづく)