9周年記念って、僕と彼のリレーションについてを振り返って特集記事を組んでみましたが、途中で放置していたので自分自身気になっていました。読んでる人は気になってないと思うけど。笑
<どん底>
さて付き合って3年目、2004年頃でしょうか。一緒に新高円寺で住みだしましたが、住んだはいいけど生活が落ち着かず、喧嘩の毎日。でこれではだめだってことで、新居を探して一から出直すことに。(前のブログご参照 下にリンクがあるので)
苦労して見つけた物件は市ヶ谷にありました。心機一転でやり直そうと決めたはずのその物件も私たちのリレーションに大きな影響を与えました。悪い意味でね。住むところってほんとに大事なんだって思った。
いい物件だったのだけど、長期間テナントが決まってなかったみたいで、家賃も大幅に下げてもらえたしラッキーと思ってたら、やっぱり理由があるのね。1階だったんだけど、窓部分の地面が高くなってて、半地下みたいになってて、、したがって陽が入らない。。冬は湿気だらけでサッシだけじゃなく床までびしょびしょになるほどの結露。でね、一番の問題が、、家の構造。内廊下だったのだけど、騒音がマンション中にエコーとなって響き渡る!!
で、隣の家の子供がワーキャーいいながら廊下を通ると、僕らの家の中まで大音量で聞こえてくる。で逆もしかり僕らが家の中で音楽かけてたら、マンション中がコンサートホールみたいに(というのは大げさだけどそういうイメージね)反響して、、住人から苦情がくる。普通の音量でテレビや音楽をかけてても反響するから、それってマンションの構造の問題だよね、って思って僕らは普通の音量にしていたら、苦情はくるくる。
住民からの苦情は直接には僕らのところにはこないんだけど、管理人を通してそれがうちのマンションのオーナーの耳に入った。そのマンションは彼の会社の法人契約で、契約上は契約者や住人として僕の名前はでてこなかったんだけど、それをオーナーがぶつぶつ言い出した。
「勝手にもう一人住んでいる。男同士で、外人と日本人。もう一人住むってわかってたんだったら家賃は下げなかった。おまけに音楽を大音量でかけて住人に迷惑をかけ、マンションの資産価値を下げた」
というわけのわからない理屈をオーナーは書面で言ってきた。それで、、僕らは変人オーナーに訴えられました。不動産業者を交え、彼の会社を交え、青山に住む変人独身女は執拗に僕らを追いつめ、そんな僕の名前を届けないといけないなんて知らなかったというと、知らなかったではすまされないと言い、ややこしいことに。
そんな家で僕らは落ち着くこともできず、家にいること=ストレス となって、それが僕らのリレーションにいい影響を与えるわけはなく、二人で乗り越えないといけないのに、二人の目は外に向けられていってて、二人の溝が深まっていっていった。結構追いつめられてたと思う。彼も寝れないようになって寝ても無呼吸症候群というのになってしまったり、僕は僕でじんましんが出るようになったりしたっけ。
一人の人と付き合うことで幸せなこともあるけど、こういう家の問題とかは付き合っているからこそ起こった問題だったし、いいことが全く見えなくなり、悪いことばかりにフォーカスしてしまい、別れを考えるようになっていた。逃げ出したかったのだね。僕も考えていたし、彼も考えていた。
僕はある時期ずっと別れようと思って、別れる理由をうまく彼に伝えるために『メリット』『デメリット』を紙に整理して書いたものを彼に見せて、もう別れたいって泣きながら伝えたことがあった。彼はその紙をみて、「OK」とだけ言った。その翌日僕が会社から帰ってくると、僕が2周年記念にプレゼントして大事にしていたペアリングが箱に入れてテーブルの上に置かれていた。それを見た僕はこれが事実上の終わりと実感した瞬間であり、床に倒れこんで泣いたっけ。
でもね、僕らは話し合いをした。逃げるんじゃなくて解決をしていこうってことで。今は一緒にいるのこと自体が苦痛になっててるが、嫌いなわけじゃないんだし、二人っきりで問題をかかえて息がつまりそうになっているんだ。短絡だけど、旅行に行こう。旅行は『別々』に行きたいところに行こう。彼はフィリピンに、僕は友達とシンガポールに行った。
旅行に行くことでリフレッシュって単純だけど、息が詰まりそうになっていた僕らにとってはほんとに大事な時間だったし、しばりからの開放、しばしのシングル気分で、いかにお互いが大事な存在なのかと再認識するゆっくりと考える機会でもあった。そういった時間を持つことで、僕らのギチギチのリレーションも『ハンドルのあそび』の部分ができて、うまくコントロールできるようになったと思う。
結局、市ヶ谷の家は入居から1年で出ました。結局、オーナーの裁判沙汰や敷金の返金問題ははちゃめちゃだったけど、彼の会社や不動産会社のバックアップもあり、とにかくそのマンションを出て、次の家で新たにスタートできたよ。
市ヶ谷の家に住んでた僕らのことを思い出すと胸が苦しくなるな。どん底期だったんだな。でもこの次の家は太陽がよく入り、僕らのリレーションにも陽が入ってきます。まあドラマもありましたが。。
続く。。(次はリクエストがあったら書こうかな笑)
<どん底>
さて付き合って3年目、2004年頃でしょうか。一緒に新高円寺で住みだしましたが、住んだはいいけど生活が落ち着かず、喧嘩の毎日。でこれではだめだってことで、新居を探して一から出直すことに。(前のブログご参照 下にリンクがあるので)
苦労して見つけた物件は市ヶ谷にありました。心機一転でやり直そうと決めたはずのその物件も私たちのリレーションに大きな影響を与えました。悪い意味でね。住むところってほんとに大事なんだって思った。
いい物件だったのだけど、長期間テナントが決まってなかったみたいで、家賃も大幅に下げてもらえたしラッキーと思ってたら、やっぱり理由があるのね。1階だったんだけど、窓部分の地面が高くなってて、半地下みたいになってて、、したがって陽が入らない。。冬は湿気だらけでサッシだけじゃなく床までびしょびしょになるほどの結露。でね、一番の問題が、、家の構造。内廊下だったのだけど、騒音がマンション中にエコーとなって響き渡る!!
で、隣の家の子供がワーキャーいいながら廊下を通ると、僕らの家の中まで大音量で聞こえてくる。で逆もしかり僕らが家の中で音楽かけてたら、マンション中がコンサートホールみたいに(というのは大げさだけどそういうイメージね)反響して、、住人から苦情がくる。普通の音量でテレビや音楽をかけてても反響するから、それってマンションの構造の問題だよね、って思って僕らは普通の音量にしていたら、苦情はくるくる。
住民からの苦情は直接には僕らのところにはこないんだけど、管理人を通してそれがうちのマンションのオーナーの耳に入った。そのマンションは彼の会社の法人契約で、契約上は契約者や住人として僕の名前はでてこなかったんだけど、それをオーナーがぶつぶつ言い出した。
「勝手にもう一人住んでいる。男同士で、外人と日本人。もう一人住むってわかってたんだったら家賃は下げなかった。おまけに音楽を大音量でかけて住人に迷惑をかけ、マンションの資産価値を下げた」
というわけのわからない理屈をオーナーは書面で言ってきた。それで、、僕らは変人オーナーに訴えられました。不動産業者を交え、彼の会社を交え、青山に住む変人独身女は執拗に僕らを追いつめ、そんな僕の名前を届けないといけないなんて知らなかったというと、知らなかったではすまされないと言い、ややこしいことに。
そんな家で僕らは落ち着くこともできず、家にいること=ストレス となって、それが僕らのリレーションにいい影響を与えるわけはなく、二人で乗り越えないといけないのに、二人の目は外に向けられていってて、二人の溝が深まっていっていった。結構追いつめられてたと思う。彼も寝れないようになって寝ても無呼吸症候群というのになってしまったり、僕は僕でじんましんが出るようになったりしたっけ。
一人の人と付き合うことで幸せなこともあるけど、こういう家の問題とかは付き合っているからこそ起こった問題だったし、いいことが全く見えなくなり、悪いことばかりにフォーカスしてしまい、別れを考えるようになっていた。逃げ出したかったのだね。僕も考えていたし、彼も考えていた。
僕はある時期ずっと別れようと思って、別れる理由をうまく彼に伝えるために『メリット』『デメリット』を紙に整理して書いたものを彼に見せて、もう別れたいって泣きながら伝えたことがあった。彼はその紙をみて、「OK」とだけ言った。その翌日僕が会社から帰ってくると、僕が2周年記念にプレゼントして大事にしていたペアリングが箱に入れてテーブルの上に置かれていた。それを見た僕はこれが事実上の終わりと実感した瞬間であり、床に倒れこんで泣いたっけ。
でもね、僕らは話し合いをした。逃げるんじゃなくて解決をしていこうってことで。今は一緒にいるのこと自体が苦痛になっててるが、嫌いなわけじゃないんだし、二人っきりで問題をかかえて息がつまりそうになっているんだ。短絡だけど、旅行に行こう。旅行は『別々』に行きたいところに行こう。彼はフィリピンに、僕は友達とシンガポールに行った。
旅行に行くことでリフレッシュって単純だけど、息が詰まりそうになっていた僕らにとってはほんとに大事な時間だったし、しばりからの開放、しばしのシングル気分で、いかにお互いが大事な存在なのかと再認識するゆっくりと考える機会でもあった。そういった時間を持つことで、僕らのギチギチのリレーションも『ハンドルのあそび』の部分ができて、うまくコントロールできるようになったと思う。
結局、市ヶ谷の家は入居から1年で出ました。結局、オーナーの裁判沙汰や敷金の返金問題ははちゃめちゃだったけど、彼の会社や不動産会社のバックアップもあり、とにかくそのマンションを出て、次の家で新たにスタートできたよ。
市ヶ谷の家に住んでた僕らのことを思い出すと胸が苦しくなるな。どん底期だったんだな。でもこの次の家は太陽がよく入り、僕らのリレーションにも陽が入ってきます。まあドラマもありましたが。。
続く。。(次はリクエストがあったら書こうかな笑)