あれは僕がまだ小学生でサッカーを習い始めた頃の1986年メキシコワールドカップ アジア最終予選。
日本は1次予選を1位で通過し、最終予選に駒を進めた。
最終予選、韓国との対戦に木村和司が伝説のフリーキックを決めるも惜敗。そして最終予選でアジアの壁を破れずワールドカップ出場を逃した。
そして4年後。イタリアワールドカップ。
日本代表は1次予選で敗退しアジアの壁を超えられずにいた。
Jリーグ発足直前のアメリカワールドカップ予選。
日本代表初の外国人監督としてオフト監督を就任させ、それまで出場したことのないワールドカップ本大会への挑戦が本格化し、日本は2大会ぶりにアジア最終予選に進出した
。
この時の中心選手が三浦カズ、ラモス、井原、ゴン中山、長谷川健太等で今までプロリーグのない日本サッカーを牽引してきたメンバー達だった。
最終戦、この試合に勝てば日本サッカー史上初の、念願のワールドカップ出場が決まるという試合。
先制するも追いつかれたが、ゴン中山が勝ち越しゴールを決めた。このまま試合が終了すればワールドカップに行ける。しかし試合終了直前のロスタイムにコーナーキックから同点ゴールを決められ、あと一歩のところでワールドカップ出場権を逃してしまう。うなだれた選手達の映像が印象的だった。(ドーハの悲劇)
このドーハの悲劇が将来の日本代表をより強くすることになったと思う。
そして4年後フランスワールドカップ予選。日本の中心選手は中田英寿、ドーハ組の三浦カズ、ゴン中山 等。
1次予選を2位で通過し、最終予選に進出し、プレーオフでイランと対戦。この試合の勝者がワールドカップに進出。どちらも死力を尽くし、試合は延長戦にまでもつれ込んだ。PK戦も近づいた延長後半、ついに歓喜の瞬間が訪れる。中田の力強いシュートをゴールキーパーが弾き、こぼれたところに野人 岡野が滑り込みながらゴール!!死闘の末に遂に日本は初のワールドカップへの切符を手に入れた。(ジョホールバルの歓喜)
そして2012年9月11日、ブラジルワールドカップ最終予選、グループB現在首位の日本は勝ち点差2で迫るイラクと対戦。そう、ドーハの悲劇で対戦した因縁の相手イラクである。
現在のイラクの監督は2006年日本代表をワールドカップに導いたジーコ監督である。
最終予選最大のライバル、この相手を破るにはみんなで応援しなければ!!
OSAKA MUSEでは2012年9月11日(火) サッカー応援企画を開催します!!
みんなでサッカー日本代表を応援しましょう!!
ブラジルワールドカップへの切符を!!
