今回は、以前もブログに書いた茨木川と安威川の歴史についてのリメイク版です。
前回よりもより詳しく書いていこうと思っています。



まず茨木川と安威川について

茨木川
大阪府茨木市を流れる一級河川。安威川の支流。勝尾寺川に合流する部分より上は佐保川と呼ばれている。茨木市西河原で安威川と合流する。名前は茨木市からきている。

安威川
大阪府茨木市を流れる一級河川。吹田市高浜で神崎川と合流する。名前は茨木市の安威(藍)からきている。


概要はこんな感じです。

では次に1920年代の茨木の地図を見ていただきます。

地図の青く色が付いているところは、川です。この地図を見ると茨木川と安威川が合流していないことが分かります。

次に2000年代の茨木市の地図です。

こちらの地図を見ると、茨木川と安威川が合流しており1920年のより川が直線化されています。

この2つの地図を見比べると「茨木川と安威川は元々は西河原で合流していなかった」ことがわかると思います。
そうなんです。元々、茨木川と安威川は西河原で合流していませんでした。

その理由を話していこうと思います。



堤防の決壊
茨木川と安威川は過去に堤防の決壊を起こしていました。
1934年7月に豪雨により茨木川と安威川が決壊。
続けて、1935年6月にも茨木川と安威川が決壊。
そして、同年8月にも茨木川と安威川が決壊。

これでは、何度も何度も決壊してしまい何度も洪水で町がやられてしまうということで、当時の茨木町が対策を講じようとします。


茨木町と大阪府の対応
まず最初に助けを求めたのが大阪府です。ですが、茨木町や周辺流域の自治体、大阪府だけでは改良工事は出来ないということで、大阪府は政府に助けを求めました。

その結果、政府が援助することで茨木川と安威川の改良工事をすることが決定しました。


改良工事をするに至って
改良工事の案としては、茨木川と安威川を合流させること、という案です。

ですが、安威川流域の住民が反対します。そりゃ、何度も決壊しているのに、茨木川の水が安威川に流れてくるので、水量が増え、また豪雨を茨木周辺を襲えば決壊してしまいます。

そこで、河川を直線化して決壊の恐れを減らし、堤防をより高くし、河川を低くし、合流地点には茨木川側に水門を設置する、ということで合意しました。


そして、1937年に工事が開始されます。当時は、大型の重機も無いため、全てを人力行いました。

その結果、1943年に茨木川の付け替え工事が終わり、1949年に合流地点より下流の茨木川が廃川となりました。


これで茨木川と安威川の大きな決壊はしないだろう。そう誰もが思っていました。

(昭和42年)北摂豪雨の発生
1967年昭和42年に茨木市を含め北摂を集中豪雨を襲いました。

その結果、茨木川と安威川は再び決壊してしまい、多数の人的被害や建物に被害が出ることになりました。

そこで、安威川の流域である、茨木市、高槻市、吹田市、摂津市、大阪市の市長らが安威川ダムを建設する河川整備を大阪府に要求しました。

実は安威川は東海道新幹線名神高速道路など日本の大動脈を通過する河川です。そのため、再び決壊を起こしてしまえば、北摂や大阪だけではなく全国にも物流などで二次被害が発生する可能性があります。

安威川ダムの建設開始
そのため、大阪府は安威川の上流にダムを建設することにしました。
現在、安威川ダムは建設中で2021年頃に完成予定です。これが完成すれば、以前のような大規模な決壊などは無くなるかも知れません。

ですが、安威川にはたくさんの生き物が暮らしています。ダムを建設している少し上流のエリアには国の特別天然記念物であるオオサンショウウオが生息しています。ダムの建設でオオサンショウウオがもっと個体数を減らしてしまうのではないかと言われています。またオオサンショウウオ以外の生物も減り、生態系が壊れてしまうのではないか、などのダム建設反対の声もあります。


茨木川と安威川の名残
茨木川は合流地点より下流が廃川となりましたが、それは今も茨木市内に名残として残っています。また安威川も直線化されたところが名残として残っています。

深緑色の場所が安威川が直線化された場所です。
ここには現在、西河原公園(防災公園)、西河原市民プール、西河原消防分署など公共施設が集まっているエリアです。
また西河原公園内を流れる小川にはホタルが生息していて、夏にはホタルが見れます。

そして、黄緑色の場所が茨木川が廃川化されたところで現在は元茨木川緑地という名前になっています。元茨木川緑地には川端通りやさくら通りなど茨木市の幹線道路が通っています。

Googleマップで上空から見るとこれが元々、川であったことがよくわかると思います。
両端の道路が堤防で、木が植えられているところが川です。
これを見るとかなり小さい川だったことが分かります。




そして、両端の道路が元々は堤防であったため、この道路に通じる道は坂道になっています。



また茨木川に昔かかっていた橋である、高橋は今も残されています。
そして、無くなってしまった新庄橋があった場所には石碑が建てられています。

これを見ると茨木川がここを流れていたことがよくわかると思います。この茨木川の近くにあった茨木高校は、川がとても近かったため、日本の学校で一番初期にプールが設置されました。当時は石を積み立てただけではプールとは呼びづらかったですが、ここからクロールなどが普及していったといわれており、「日本近代水泳発祥の地」という石碑もあるそうです。
現在は、大阪府立高校で唯一50mプールを所有している高校です。

また元茨木川緑地には桜などが7万本植えられており、春になると約5kmの桜のトンネルができます

そのため、大阪みどり百選に選ばれています。



ということで、茨木川と安威川の歴史を紹介していきました。ここでは紹介していませんが、茨木川や安威川の名残などはまだまだあります。そのような名残を探すのはとても楽しいので、コロナがひと段落したら茨木市を訪れて、探してみてください。
また、元茨木川緑地や西河原公園でゆっくりするのもとても気持ちいのでぜひ!




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