週刊文春連載、島崎今日子著の「ジュリーがいた」
「次回は三月掲載予定です」の予告とおり3月31日に発売された4月7日号で再開された。
第5章は歌謡曲の時代で、①は君をのせて
待ってました!といいたいところであるが、コアなジュリー女子のブログには出てこない。
再開内容をみれば、一般ピープル向け、ポリドールから東芝EMI以降の時代に進んでいくのかと思いきや、ベストテンの一等賞時代に逆戻り、、、
70年代、昭和40~50年代のジュリーが全盛期との評価は一般的でしょうが、当時は黄金期なのであって、ローリング・ストーンズのミックやキースと同様、今でも全力疾走なので現役感バリバリなのである。
島﨑今日子さんの連載、そこから先に進まないのか、、、、
タイトルが「ジュリーがいる」ではなく、過去形の「ジュリーがいた」のでしょうがないのかぁ、、、、残念!
見出しが
名だたるアーティストがカバーする「君をのせて」。
名盤であるソロデビュー曲は、なぜ不発に終わったのか
歌謡ポップスの歴史を創っていった、軌跡を追う。
冒頭は渡辺音楽出版社長の中島二千六証言
渡辺音楽出版の場合は知的財産管理と同時に制作して、渡辺プロのマネージャーが担当。中井國二が一から作り上げたザ・タイガースのレコードは、中井が中心になって制作したんです。
PYGの担当の先輩が・・・では、木﨑賢治(槇原敬之やBUMP OF CHICKENなどのプロデューサー)の証言
「合歓ポピュラーフェスティバル」そういえばあったかなぁという記憶しかありませんが、、、
アマチュアの「ポプコン」に対抗してプロの作曲家で、ナベプロが後援していたなんて知りませんでしたね!
沢田の出場を決めた人では、♪君をのせてのシングル盤のジャケットがPYGのステージで歌うジュリーであるって、そういえばそうなのかって、、、急遽リリースされたことはよくわかりましたね。
名曲が直面した壁では、♪君をのせてが評価されず、グランプリが上条恒彦の♪出発の歌、レッツザサンシャインであるのを思い出しましたねw
佐藤剛証言では「竹中労が渡辺プロ批判を始めていたし」って、もっと前からしていたはずなので、これは事実誤認
この項の冒頭、「六十歳の沢田が~」のくだりも誤植ではないだろうか、、
「いい曲だけど僕には・・・」
あれっ、島崎さんは、フジTVの「最高の離婚」で瑛太が♪君をのせてを歌ったシーンはみていなかったのだろうか、、、
それでも、ジュリー三昧や♪孤高のピアニストや哀しきチェイサーや内田裕也に早川タケジといったキーワードが出てきましたね。
昭和歌謡の未発掘のエピソード、次回に期待したいところですが、、、、
いやぁ、まいったなぁ
(参考)
「♪君をのせて最高の離婚(2013年3月22日記)」