西郷輝彦の♪月のしずくのバックはGSだったのか! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

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グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 西郷輝彦さんの訃報

 御三家では、橋幸夫(78)、舟木一夫(77)なので、西郷さんは享年75歳、一番年下でデビューも最後だったとか、、、

 

 今朝の朝日新聞朝刊では「新生クラウンレコードの新人専属歌手1号として19647年に♪君だけをでデビュー。♪涙をありがとう、♪星娘、♪星のフラメンコなどのヒット曲で人気を集め」って書かれてました。

 涙をありがとうって曲は知りませんでしたが、1965年4月公開の日活映画だった、、、、

 斎藤耕一監督作品の松竹映画では、1969年公開の「海はふりむかない」や翌年御三家の「東京パリ青春の条件」があって、観たいなぁと思いながら今日に至る、、、

 

 日刊スポーツでは「63年に設立したばかりの日本クラウンレコードの専属新人歌手第1号として、64年2月に♪君だけをでデビューした。この年の日本レコード大賞新人賞を都はるみとともに受賞した。長身に甘いマスク。人気に火がついた。

 66年に作曲家の浜口庫之助氏らとスペイン・マドリードを訪れた。4日間、劇場でフラメンコを見続けた。帰国後、完成したのが♪星のフラメンコ。西郷は不動の人気を得た。」

 

 昭和歌謡の視点から気になったので、ウィキると、リリースしたシングル盤は93枚

1.1964年2月 君だけを(詞:水島哲、曲:北原じゅん)

⇒ この年に8枚もシングル盤をリリースしていたのか!

17.1965年9月 星娘(詞曲:浜口庫之助)

 ⇒ イェイェソング、シー・ラブズ・ユーは1963年8月

26.1966年7月 星のフラメンコ(詞曲:浜口庫之助)

 ⇒ ♪好きなんだけど~離れてるのさ~♪遠くで星をみるように~

男は黙って高倉健の美学でしたが、これでは女子はわかってくれないでしょうね、、、

30.1966年10月 傷だらけの天使(詞:我修院建吾、曲:銀川晶子)

⇒ ♪この曲があったことをショーケン兄さんは知っていたのでしょうか、、

35.1967年5月 願い星叶い星(詩曲:浜口庫之助)B面はメキシコ娘

 ⇒ ヒット曲で記憶にあるのはハマクラ先生、流石ですね。

ジャックスがロールオーバー庫之助と歌ったのはよくわかりましたが、、、

42.1968年1月 月のしずく(詞:銀川晶子、曲:五代けん)

 ⇒ この曲は当時TVの歌番組やラジオで聴いてお気に入りでしたね。

 ネットでみかけたのが、「J・トップスをしたがえたGS・バンド・サウンド」と「詞:銀川晶子、曲:五代けんは西郷輝彦の変名。)との情報が、、、

 いやぁ、まいったなぁ

 

 確かに当時GSの黄金期

 この月は、タイガースの♪君だけに愛を、ワイルド・ワンズの♪愛するアニタ、ジャガーズの♪マドモアゼル・ブルースがリリースされていて、カラオケで歌詞さえあれば♪月のしずくも歌いますよぉぉぉぉ

 当時は44枚目のシングルとは思いませんでしたが、よかったんだなぁ、この曲

 なんとダブルジャケットでしたね、、、

 それにしても、J・トップスってグループ・サウンズだったのかなぁ、、、

 

66 1973年6月 ローリング・ストーンズは来なかった(詞曲:藤本卓也)

 ⇒ この年の1月「ローリング・ストーンズの初来日公演」が日本政府の入国拒否によって来日中止、矢吹健の♪あなたのブルースの作者が書いた歌詞、結構病んでいたwwwww

 

 真珠のジャニス いとしのキャロル 

 ホクフォーク ホクディラン ブギウギボラン

 ローリング・ストーンズ ジョン・レノン サンタナ シカゴ

 他人ひとに出来て 俺に出来ない

 今こそ 二流の俺だがいずれは売り出すさ

 夢のスーパー・スターだ‼

 他人に出来て 俺に出来ない筈がないさ おまえも頑張れや

 

 既視感あるのジャケットwでしたが、この当時のストーンズは5人組(笑)

 

 西郷輝彦さん、歌もよかったですが、それ以上に役者として「どてらい男」でしたね、、、、、合掌!