本日発売の週刊文春1月20日号、新聞広告には載ってませんでしたが、、
前回と同様、文春連載「ジュリーがいた」第4章「たった一人のライバル④の見出しが「オレがあいつの良さを認めることができること自体、それだけで嬉しいんだ」。二人が出会い、共に闘った日々。
③では「2019年3月26日、ショーケン死す。時代を眩しく照らした太陽のひとつが沈んだ。」がシメの文章だったので、アニキの出番はないのかとおもいきや、ショーケンとジュリーのエピソードが復活。
魔が差してついつい購入。③は5頁だったが、④は4頁と減ったのは残念。
これならば、文春オンラインで購入したほうがコスパはいいのですが、やっぱりこの記事を目当てに雑誌を購入するのが昭和の男なのですよぉぉぉwwww
この連載「たった一人のライバル」
① 田中實って誰やねん!」(12月17日記)
② 蜷川幸雄編は面白かったが、ショーケンと二人で観た映画は?(12月24日記)
③ 年明けの第4章③はショーケンがいた!だった、、、(1月7日記)
で、書いてきましたが、、、、
④の証言者は佐藤輝、佐藤輝って誰やねん(笑)
阪神タイガースのサトテルではございませんw
1974年7月28日に日テレで放映された「青春★沢田研二 真夏のロックンロールat 日比谷野外音楽堂」や1991年の武道館公演「ジュリーマニア」を撮った人である。
拙者も「1974年のジュリーとショーケン、やらせっぽい裏ビデオのような映像に驚愕、佐藤輝って!(10月13日記)」で知ったが、その人の証言なので興味深い。
湘南の海での撮影当日「素っ裸で海に飛び込んでくれない?」と直接沢田に交渉してOKをもらったとか、、
サザンオールスターズのLP「NUDE MAN」(1982年7月発売)を思い出しましたね。
このジャケットの写真「写真家の半沢克夫がアジア旅行の際に現地の人の水浴びの様子を撮ったものであり、それを桑田が面白がり半沢の許可を得て使用したものである」らしいが、、、
ひょっとすればジュリーのNUDE MANにインスパイアされたのか、オマージュなのか、、、、、
♪勝手にシンドバットの桑田佳祐、地元の湘南の海にジュリーがヌードで飛び込んだことを知らないはずはない、、、
そのあたりなど、島崎さんは桑田佳祐にも「ジュリーがいた」証言をとってきて欲しいんだなぁ、これが、、、、
文春ならば、「ポップ歌手の耐えられない軽さ」で、連載していたので、可能性は高いはず、もはや構想に入っているかもしれない。
1994年NHK-BSで「映像作家・佐藤輝の世界」の第3夜でのインタビューでのジュリー証言
「大体が突飛なことをやらされる質(たち)なんですよ。で、そのときに断らない。やっぱりイメージを壊したいというか、僕のほうも渡りに船というところがあるわけですよ。保守的にならずにすむ。だから、外の人が言ってくれることが、僕は面白かったし、好きだったし」
このとき放映されたのが「1974年のジュリーとショーケン、やらせっぽい裏ビデオのような映像」だったのか、、、、
「愛にも似たその友情」の項
1973年の「沢田研二のすばらしい世界」のゲストが映画「股旅」が公開される頃の萩原健一秋の「週刊TVガイド」の「ジュリー&ショーケン特集」で11頁、この記事はみたいものですが、、、
この年の暮れのレコード大賞、大衆賞が♪危険なふたりでレコード大賞がとれなかったため、番組終了直後「なぜ沢田が大衆賞なんだ!」と関係者に詰め寄る内田裕也軍団の姿を目にしている。そこには萩原健一の姿もあった。
レコード大賞は五木ひろしの♪夜空
ちなみに「この年は五木の♪ふるさとが大ヒットし日本歌謡大賞や第24回NHK紅白歌合戦ではこちらの方を歌ったが、五木によると歌謡大賞を沢田研二の♪危険なふたりが取ったので、レコード会社が急きょレコ大に向けて勝負曲を♪夜空に切り替えたとコメントしている。
また、みんなジュリーが歌謡大賞に続いて大賞を取ると思っていたら、レコ大が大衆賞なるものを作って彼に与えたんです。それで僕に大賞が回ってきたんでしょうね」とか、、、
う~ん、昭和ですねぇ~
「獲れなかったら帰る」の項
1977年のレコード大賞、 TBSはサプライズゲストとして祝福してもらおうと、ショーケンを帝国劇場に呼んだ。
マネージャー証言によれば
「この大晦日の忙しいときに呼び出しやがって」と怒られたけど、来てくれたんですよね。
「おい、本当に獲れるんだろうなぁ、獲れなかったら俺は帰るぞ」と言ってモニターを見てました。あの二人は本当に仲よかったんですよ。
佐藤輝さんが撮った二人を見た時は、模範生のジュリーが煙草を吸ったりして、アウトローのショーケンに近づこうとして多少無理しているように僕には見えましたが、、、
いやぁ、まいったなぁ
ということで、島崎さんの連載、大河のように、まだまだ続くよ~かも、、、