週刊文春、10月21日号、新聞広告では「ジュリーがいた」のかわりにちっちゃすぎる文字で「ジュリー連載」って(笑)
それにしても熊田曜子の文字が大きすぎて、不倫の証拠が大人のおもちゃwww
この記事はどうでもよかったが、「二つの太陽」ショーケンとの別れのタイトルがそそって、コンビニで袋綴じされていた、週刊文春を即購入。
この連載、
第1章が「沢田研二を愛した男たち」
第2章が「熱狂のザ・タイガース」
第3章が「自由・反抗・挑戦」
これまで下記のブログを書いてきましたが、今週号でいったん休載、 次回は12月とか!
・文春の「ジュリーがいた」連載再開、「ジュリーがいた時代」ではなかったが、、、(9月17日記)
・文春の「ジュリーがいた」でのPYG時代、沢田さんは反抗していたわけではないが、、、(10月3日記)
・文春「ジュリーがいた」の木村英輝証言、京大西部講堂と比叡山のライブと結婚秘話に惹かれてつい購入!(10月8日記)
「自由・反抗・挑戦」の最終回もPYGエピソード。
冒頭、1971年の週刊平凡の記事や2008年11月のNHK-FMの「今日は一日ジュリー三昧」などから引用して、時系列で整理されていて、昨日のことのように思い出しましたね。
今週の証言者は大野克夫さん。
沢田研二の声をはじめて聴いたときの衝撃やショーケンのステージを初めてみたとき、凄くカッコよかったって、、、
PYGについては音楽的なことは私と井上さんがいればなんとかなると思っていました。
さらに井上堯之さんの著書の引用も、、、
興味を引いたのが、GS時代から沢田が萩原を「ショーケン」と呼ぶのは一貫しており、萩原のほうは「沢田さん」「ジュリー」「沢田」「研二」と変化して、PYG時代はもっぱら「ジュリー」であるとか、、、
大野証言では「お喋りなショーケンが何でも喋るのを、ジュリーはただ笑って嬉しそうに聞いてるんです。」
ショーケンファンの証言
「ウエスタンカーニバルは渡辺プロ主催なので、タイガースのファンは前の方のいい席で、弱小のスパイダクションのテンプターズは後列。
ファンの競争心を煽ることが業界の商法。
明治チョコレートに対抗して森永チョコ
不良のショーケンこそが時代の王道、王子様のジュリーには負けないわよ~」
なるほどねぇ~
島崎さんは「ジュリーとショーケンがひとつのバンドのツイン・ヴォーカルとなったことは、敗戦後、敵国鬼畜米英のアメリカが一転同盟国となったくらいの衝撃だったようだ。
愛が深い分憎しみは大きい。」って書いていますが、
鬼畜米英とはwww
そして、ジュリーは総天然色の項目
1971年11月1日、♪もどらない日々が「萩原健一+PYG」のクレジットで発売。
同日、沢田研二のソロシングル♪君をのせてが発売され、12月に「ジュリーⅡ」がリリースといった流れ。
で、渡辺プロOBの証言
ジュリーはビジュアルの魅力50%、作品の魅力50%で成り立っているのに、PYGのジュリーにはこのビジュアルがない。ジュリーは総天然色アーティストであるのに、今のジュリーはモノクロだ。
一方、岸部一徳証言では
(ショーケンは)俺はジュリーには勝てないというんんです。だからもう音楽はやめて映画の制作をやってみたいと。
島崎さんは「ひとつの世界で太陽が二つ輝かないことをよく知っていた萩原は、別の世界で太陽になるべく模索し始める。」って、ちょっと大げさなような表現ですが、、、
渡辺プロ大卒第1期生の工藤証言
沢田は萩原が不在のPYGのステージで「ショーケンは凄い監督に見初められて映画やってるから」と報告し、演技する萩原について折々の場面で「ショーケン、凄いんだよ~」と手放しでほめた。工藤の目に「終生の友」と映った二人だが、その話は別稿で。
大河ドラマのような「ジュリーがいた」の気になる証言は「つづく」って、そんな殺生な、、、
第3章のラストのしめ
「PYGという挫折は、井上バンドを従えたソロシンガー・沢田研二を華々しく誕生させ、初めて見るような俳優・萩原健一を世に送りだした。我々は二人の時代の体現者、二つの太陽を仰ぎ見ることになるのである。」
いやぁ、まいったなぁ、、、
ジュリーFANとショーケンFAN、お互いはりあっていたのでしょうが、鬼畜米英とはねぇ、、、、、、、