昨日の余波で、またまた昭和プロレスの噺です(笑)
昨日書いたのが「昭和53年秋、マスカラスの代役がオックス・ベーカ! 当時のパンフレットを発掘!」にコメントをいただいたので、パンフレットをひっぱりだしてきましたね(笑)
これぞ、プロレス的攻防www
で、どんなコメントだったのかというと
吉原社長の「一週間、マスカラスを借りたい」という要請に、馬場は「マスカラスに話しておく」それを参戦出来るものと思い込み、ポスターまで刷り(実際に貼っていた)、草津の愛車をわざわざ九州まで持って行ったのですから、何とも言えませんね。
米国でも人気者のマスカラスですから、決まっているスケジュールを優先するのは当然でしょうし、果たして馬場はマスカラスに伝えたかどうか?
馬場さんはこの世にいないので、今となっては、わかりませんし、おそらく、訊いたとしても答えないでしょうね(笑)
マスカラスに断られたといえば、自身のプライドに傷がつくし、知らないといえば、吉原社長がピエロになってしまう、、、
だから何も答えない(笑)
馬場さんのことをよく知っていれば、そんなことは訊けないでしょうね、、、、
ここから、昭和プロレスの旅へと(笑)
昭和53年の2月、全日本・国際・韓国 プロレス三団体 全軍激突戦というミニシリーズが開催されて、全日本プロレスと国際プロレスの関係は良好、ウィンウィンだったはず。
この年の国際プロレス
新春パイオニアSのサモアンズ~
全軍激突戦
ビッグ・チャレンジSのクレージー・キラー・ブルックス~
ビッグ・サマーSのアレックス・スミルノフ~
スーパー・ファイトSのジプシー・ジョー
そして、マスカラスのキャンセルがあったダイナマイトSといった流れでしたね!
ラフファイターばかりということもあったのでしょうか、、、
ここらでミル・マスカラスと吉原社長は馬場さんに頼んだ???
駄菓子菓子、エースであったラッシャー木村選手や、G草津では名勝負は望めなかったでしょうし、マイティ井上さんの発言をきくとスイングしなかったでしょうね、、、
その年2月の全軍激突戦のパンフはこんな感じでしたね、、
国際と全日本に韓国軍の大木金太郎&キム・ドクとの三つ巴の激突でしたね!
これまでの経過や、ちゃっかり次期シリーズのPRも、、、
遡って、前年、昭和52年12月頃、全軍対抗戦のパンフ
A面wは、馬場さんの挨拶から
ちゃっかりと次期シリーズのPRと若手精鋭人とレフェリーも、、、
参加外人選手も2名ずつ紹介されていて、この頃のビル・ロビンソン、全日本扱いだった!
日本テレビと東京12チャンネルが並んでいましたねw
国際の扱いも悪くなく、吉原社長の挨拶へと
吉原社長の挨拶、気になることが書かれていて、拡大
この対抗戦のためにダイナマイトシリーズを1週間カットし、外人選手には契約通りのギャラを払ったと
そのダイナマイト・シリーズのパンフレットをみると、挨拶にもみどころにも、同じようなことが書かれていましたね(笑)
いやぁ、まいったなぁ
ここからは昭和プロレスファンの妄想ですが、、、
当時、吉原社長は国際プロレスの窮地を救うために全日本プロレスとの対抗戦に賭けていたし、馬場さんを頼っていたとも思えるのですね、、、
馬場さんは賢い人だから、吉原社長から頼まれたとき、マスカラスの国際参戦によってどんな波紋が生ずるのか、色々と考えたはず、、、
例えば、TV局の関係とか、国際での待遇とか、、、
馬場さんは、総合的に判断して、落ち目のマスカラス(アッ失礼!)にとって、ビジネスとしては、そんなに悪くないと思って話はしたはずで、マスカラスが即断ったのならば、吉原社長にその旨伝えたはずだが、プライド高いマスカラスは「検討する」といった返事くらいはして、なかなか返事はしなかったのでしょうか、、、
でも、結局は国際はマイナー団体など!という理由で断ったので、ひょっとすれば、馬場さんはフリッツ?に一声かけてマスカラスのスケジュールを組んでもらって、それを理由に吉原社長を納得させた、、、
知らんけどwwww