昨日、紹介した「ローリング・ストーンズFC」昭和55年4月発行の第30号で沢田研二さんのインタビュー
ストーンズ関係以外の話も興味深かったので、これは備忘録として、残しておきたい(笑)
昭和55年1月29日の7時頃のインタビュー
「太陽を盗んだ男」が公開され、TOKIOがリリースされた頃。
Q.12歳の頃、どんな少年だったとか、どんなタイプの女の子が好きだったとか、、
その頃はプロ野球の選手になろう、と思っていた頃でしたね。
初めて夢を持ったよね。
もう好きな女の子おったからねぇ(笑)
片思いだったけど、、、
やっぱ、勉強できる子だったけどね。
勉強はできる方がいいからね。
最近、本なんか読んだりしてますけど。
Q.自分が歌った曲の中で、一番好きな曲ってなんですか?
そうね、まぁレコードになったやつだと一番売れたやつが好きだと答えるんだけど、
まっ「勝手にしやがれ」ね。
あと自分で作った歌だと、やっぱりそれだけ苦しみながらつくってたから、それぞれみんな好きだけど。
Q.「太陽を盗んだ男」の中で、ストーンズを来日させようというアイデアは?
監督とみんなで考え出したですけどね。
苦肉の策というか、、、
でも、何ちゅうのかね。
やっぱり色々問題があったみたいでね。
もっとドギツクやる予定だったのね。何か、マリファナとかそうゆうの全部用意してね、むかえろ、ということを言ったりとか、あと、そうゆうことできないと、現実にOKになって、またストーンズがそれを聞いて、簡単にOKされると困るという感じで、それだったらえ衛生中継で、国会中継さして、それでもってことで、ストーンズから電話が入る、テレックスが入るということを考えたんだけど、それはあんまりやりすぎだろうということになってね。