ショーケンが明かすザ・テンプターズ 51年目の真実(2)松崎さんは生きている! | あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

あの頃のショーケンになりたかった! エコケーンの日記

グループ・サウンズやローリング・ストーンズなどのロック、モーニング娘。などのアイドルに昭和プロレス、映画に落語に食べ物や大阪に関することやそのうえお城も好きで、見たり聴いたり、その時に感じたことを書きたい備忘録日記、、、、

 3月13日、晩8時からBS11で放映された「あのスターにもう一度あいたいGSザ・テンプターズ」

 

 ランキング形式で示されていて、順番に確認してみると、

10.中学生で急きょステージに

 ダンスパーティがあった時、信頼できる人間がいないから、クロークをやってくれと言われた。ボーカルの女の子が腹痛でいなかったので、1曲歌ってくれと言われて歌ったら、仲間内だから受けた。そして入ってくれと言われた。

9.「神様お願い!」に隠された秘話

 ヒットしたが、神様にお願いしたい位、嫌だった() アップリケの衣装で、プロダクションのきせかえ人形になるのが嫌だった。おさないころだったので、傷ついていた。

8.人気すぎてクレーム!?

 9両編成の大宮からの始発電車が満員となった。とりあえず、寝たい、うるさい、音楽よりもキャラクターが優先。銀座山野楽器でのサイン会の映像では、忘れえぬ君のサイン、思わずデビュー曲位、漢字で書けよと突っ込みましたが(笑)

そして、(田中俊夫、大口広司)二人とも亡くなっているんですよ、との発言も。

 当時の映像流れて、普段着の方がおしゃれ、みれば、ローリング・ストーンズのようなサングラスやファッション姿!

7.お母さんは大反対

 母は明治の終わり、大正のはじめ、芸能界が差別された青春時代だったので、ウエルカムなかんじではなかったが、日劇にはみにきた。4枚目のシングルの「おかあさん」を作詞作曲したのが松崎さん。松崎さんはお母さん想いで作ったのに、プロダクションの都合で作詞を一般募集することになって、松崎さんは屈辱的な顔をしていた。可哀そうだと思った。このおかあさんの映像、フルコーラスで収録されているとの話だったが、カットされずに放映されなかったのが、嬉しい。

 

で、気になったったのが、これまでのネット情報との整合性であり、引用すると、、、

 

①テンプターズは、65年に埼玉の大宮西高校の田中俊夫(ギター)、高久昇(ベース)ら4人によって結成された。名前の由来は、映画「太陽の誘惑」から。しばらくして田中のおさななじみだった大宮工業高校の松崎由治(ギター)が仲間にくわわった。この当時は、インスト中心のエレキバンドだったらしい。大宮のダンス・ホール「大蔵」のハウスバンドとなる。この大蔵というのは、大蔵映画が映画館の横に併設していたダンス・ホールだった。そこへやってきて飛び入りでリトル・リチャードの「マネー」を歌い、いつのまにかメンバーになってしまったのが、萩原敬三、後のショーケンこと萩原健一だった。

 

06/01/16 Mon :松崎由治は亡くなっていたんですね 昨日、井上堯之氏がソロでスパイダースの「ガラスの聖女」を 演るというので、青山円形劇場に聴きに行ってきました。その際、テンプターズの松崎由治氏の話をされ、「彼は焼き鳥屋をやっていたが 亡くなりました」とのこと。

 

③バンド内不協和音の火種となった異色GSソング「おかあさん」

タイガースは半年早く325日に、GSとしては初の芸能誌タイアップ・ソングとなる『明星』募集歌「花の首飾り」をリリース。発売の15日前には日本武道館で「花の首飾り」「銀河のロマンス」を披露する新曲発表会を行なった。1968925日にリリースされたザ・テンプターズの4作目のシングル「おかあさん」もそんな芸能誌の募集歌のひとつで、『週刊平凡』の誌上募集当選作の歌詞にメンバーの松崎由治(リード・ギター)が手を加えて作曲、自らソロ・ヴォーカルを取った作品である。大口広司(ドラムス)は当時をふり返って、「あの曲ではメンバー同士で言い合いになりました。いつもストーンズぶってるのが<おかあさん>はないだろうってね。自分で演っててテレ臭かったし、ステージでストーンズの曲とかの後にいきなり<おかあさん>でしょ。これで良いのかなぁって思いましたね」と語っている。実際、そんな「おかあさん」に対するメンバー間の温度差は、作曲者でソロ担当の松崎と、隣でハーモニカとコーラスを担当していたショーケンの間に感情的な溝を生じることとなり、それは解散まで続いた。大口が証言する。「ステージで感極まって松崎くんが泣きながら歌っている時、ショーケンが客席に背を向けて僕の方を見て<やってられねぇーよ>って顔して笑ってるの。あれには複雑な気持ちになりましたね」。

 

①の真偽はわからないので、もう少し他の証言も聴きたかったところですね。

 

②松崎さんの死亡説も元ネタが松崎さんの焼き鳥屋が無くなったのを亡くなったと勘違いしたのでしょうか、何か深い事情でもあるのでしょうが、松崎さんは生きているはずで、その点についても、明らかにしてほしかったでござる。

 

③のおかあさんの話、意外なアニキ(萩原健一さんのことです)の証言は、テンプターズ一FANとしては好感度アップ、いまの嫁が考えた戦略家も()結局、田辺昭知社長達の大人達に対して、反抗期だったアニキが「僕は嫌だ!」と心に秘めつつ逆らえなかったとの話で、ザ・テンプターズを否定するものではなかったので一安心

ちなみに、胸に花のアップリケがついた衣装は、有名で当時、これを真似した女の子用のワンピースまで販売されていたそうで、田辺社長の戦略は間違えていなかったのでしょうね。

(続く)