命の別名 | 死を待つ時間

死を待つ時間

極度のコミュ障。脱・引きこもりを目指してます。が、大勢の人の中へは入って行けそうもありません。

今日は母上がSTAY HOMEの日なので、

それがしもずっと家に居ました。

外へは全くでていません。

安定の増量中です。

 

先ほど、本日3回目のオムツを替えて、

コーヒー飲みながらホッと一息。

母上の体が、滅茶苦茶硬くなってきてて、

オムツを替えるだけでも、スゲー大変です。

 

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何かの足しにもなれずに生きて

何にもなれずに消えて行く

僕がいることを喜ぶ人が

どこかにいてほしい

 

石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ

僕と生きてくれ

 

繰り返す哀しみを照らす灯をかざせ

君にも僕にもすべての人にも

命につく名前を心と呼ぶ

名もなき君にも 名もなき僕にも、、、

 

神曲「命の別名」 / 中島みゆき

 

ほんと、中島みゆきってどういう脳みそしてんだろうね?

 

「命の別名」は、シングルなのですが、

カップリングの「糸」の方が有名になってしまって、

かなり影が薄い歌になってしまったのだが、

それがしは「糸」より「命の別名」の方が断然好きです。

 

1970年代生まれの人は、「ラジオ世代」と呼ばれており、

ラジオ聴いてる人がほんと多かったと思う。

大阪ではMBS「ヤングタウン」が大人気だった。が、

大阪の外れに住んでいたので、MBSは雑音だらけで、

殆ど聴く事ができなかった。

今はネットで雑音無しでラジオ聴く事ができますね。

良い時代になりましたね。

ヤンタンきけなかったので、

KBS京都で、ハイヤングKYOTOと、

オールナイトニッポンを聴いていました。

 

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それがしは話すのが苦手で、友達がほんとにいなかったので、

実は小6から夜、コーヒーを飲みながら、

夜な夜なダイヤルを回して、ラジオを聴いていました。

ラジオが友達だったし、こんな風に楽しく可笑しく話せれば、、、と、

どんなに思った事でしょうか、、、

暗い少年やったんやなぁ。。。

 

当時のハイヤングKYOTOは、

おすぎとピーコ

寺島まゆみ

桂文珍

つボイノリオ

宇佐元恭一

若宮テイ子

鈴置雄三

島田紳助

みのや雅彦

森脇健児

 

当時の聴いていたオールナイトニッポンは、

一部と二部に分かれていて、

中島みゆき

上柳昌彦

小泉今日子

ビートたけし

タモリ

笑福亭鶴光を、

何時寝てもいいように、オートリバースのラジカセに、

120分テープに録音して聴いていました。

鶴光は、土曜日だったので、午前03時までは聴いていました。

この頃の鶴光のオールナイトのアシスタントは、

まだ売れる前の松本明子だった。

ハイヤングKYOTOのつボイノリオと、

鶴光のオールナイトニッポンは、

多くの男子生徒の性教育?の番組だった。

 

それがしは、全く聴いていないのですが、

とんねるずのオールナイトニッポンが、

当時、一番人気だったような気がする。

火曜の夜で、水曜は、皆とんねるずのラジオの事を、

よく話していたかな。

金曜日のヤンタンは、谷村新司、ばんばひろふみ、三田寛子で、

エロいというか、、、かなり変態の番組で、雑音だらけの中、聴いていた。

 

高二の時に、中島みゆきのオールナイトが終了し

デーモン小暮になった。これは、ショックだった。

学校を卒業して、社会人になると、

まるで嘘のように、ラジオから離れていった。

 

中島みゆきの歌は、

1stアルバムの『私の声が聞こえますか』から『予感』までが、

特にすきですね。

もちろん予感以降も素晴らしい歌は沢山ありますけどね。