居場所について(その1)
親愛なるマリヤへ
君と出逢ったのは27歳の頃だった
今 31年が経過した
出会った頃の君は 誰の目にも君は輝いていた
保育という自分の仕事(居場所)に他の誰より
も情熱をもって取り組んでいたから
僕はもう自分を責めない(再開して君は私を
お父さんと頼ってくれたから)
そんなことをしても今の君の問題解決に
ならないから
過去を後悔してもこれからの人生について
何のプラスにもならないから
昨年の10月2日次男の緊急入院手術の日
23年ぶりに君と会話した
エスカレーター越しに
“ お父さんありがとう ” もう聴こえ
ないくらいのよわよわしい声だった
不安神経症という病に侵され
こころをすっかり病んでしまった
子ども達の独立や仕事も失い
君はひとりぼっちで彷徨っていた
あの青春時代の目の輝きを失い
もう君は君でなかった
行き先も決まらないまま
家にいるとしんどいと言うだけで
近所をひとりぼっちで
ただ歩いていた
そこには何の意味はなかった
日々私たち元夫婦はいつしか
支え支えられる関係になっていった
昨日 君と 近鉄南大阪線古市駅
近くのロッテリヤで
僕はふと思いつき君にこう呟いた
君さえ良ければ お父さんと
一緒にお茶会しようと
二人でたわいのないことを話すこと
それを始めの居場所にしようって
君が自らの力で新しい
“ 居場所 ” を見つける間
君は少し潤んだ瞳をしながら
うなずいてくれた
ひとりで悩みを抱え込まないで
これからは父さんも一緒に考えるから
その後 花屋で 380円のカーネーションの
お花を贈り君と別れた
三好 弘泰