幼いわたしのために母はボタン作りの内職をしてくれました

その傍で

私は静かにひとり遊び

 

少し大きくなって

母は慣れない工場で働くことになりました

一言も愚痴をこぼさず

仕事だけでも大変なのに

たった40分の昼休憩に

昼ご飯を作ってくれました

それなのに、私は毎日当たり前のように食べていました

 

家事・子育て・仕事など休む暇なく母は働いた

私の将来の学費のために

私はなに不自由なく育つことができました

母の苦労に気づいたのは

大人になってからです

 

幼い頃から苦労の連続

母の人生は

誰のための人生だったのか?

幸せだったのか?

私のため、ぎりぎりまで働いた母

膝と腰を痛めてしましました

仕事を止めても病状は進行していきました

 

年老いた母の曲がった背中に

私を育ててくれた深い愛情が見える

痛い痛いと言いながらも

それが母の愛情だった

 

母を亡くした今思う

私にももっとできたのでは

亡くなってからでは

親孝行できないのである

 

母は生前花が好きだった

今年も墓前に花を飾る

かあさんありがおうと