最近、仕事でよく当事者という言葉を耳にしますが
僕はどうにも狭い範囲でのみ使用する当事者という言葉は
なじんでいません。
当事者それは自分だと思っています。
「自分には関係ない。それはほかの部署のことだ」
「自分は知らない。それは○○さんが知っている」
「自分じゃない、それは○○さんがやったこと」
「自分じゃない、それは友達がやったこと」
なんていうような言葉、様子は生活の場で見かけます。
「自分は関係ない」という言葉、行動が
「当事者意識がない」と僕は思っています。
ひとのせいや、世の中のせい、
同じ学校、同じ職場のことなのに、
自分は関係ない、知らない。
この間も仕事で「僕は言われたことを言われた通りにやっただけ」
なんて言われて
本当に頭にきたことがありました。
なんという無責任さ。
同じ仕事をしている人間として、怒りと恥ずかしさを覚えたもんです。
仕事への誇り、プライドを持っていないことを自ら発表しているようなもんだ。
おそらく、僕はもうそのひととは仕事をしても
何の楽しみさえ覚えないだろう。
それこそ、ただ仕事として、生活費のためだけにしか
一緒に仕事をしない。
仕事を通じて、さらに向上するためにはどうしたらいいのかなんていう
話は一切しない。
相手が、社会人経験が浅いひとならば許すけど
そうでなければ、無理。
そんなわけで、僕の仕事にかかわる子供たちはぜひとも
当事者意識、当事者感覚という
「自分の責任」感覚を持ってほしい。
むしろそれが、社会生活の基本であることをわかってほしい。
僕はどうにも狭い範囲でのみ使用する当事者という言葉は
なじんでいません。
当事者それは自分だと思っています。
「自分には関係ない。それはほかの部署のことだ」
「自分は知らない。それは○○さんが知っている」
「自分じゃない、それは○○さんがやったこと」
「自分じゃない、それは友達がやったこと」
なんていうような言葉、様子は生活の場で見かけます。
「自分は関係ない」という言葉、行動が
「当事者意識がない」と僕は思っています。
ひとのせいや、世の中のせい、
同じ学校、同じ職場のことなのに、
自分は関係ない、知らない。
この間も仕事で「僕は言われたことを言われた通りにやっただけ」
なんて言われて
本当に頭にきたことがありました。
なんという無責任さ。
同じ仕事をしている人間として、怒りと恥ずかしさを覚えたもんです。
仕事への誇り、プライドを持っていないことを自ら発表しているようなもんだ。
おそらく、僕はもうそのひととは仕事をしても
何の楽しみさえ覚えないだろう。
それこそ、ただ仕事として、生活費のためだけにしか
一緒に仕事をしない。
仕事を通じて、さらに向上するためにはどうしたらいいのかなんていう
話は一切しない。
相手が、社会人経験が浅いひとならば許すけど
そうでなければ、無理。
そんなわけで、僕の仕事にかかわる子供たちはぜひとも
当事者意識、当事者感覚という
「自分の責任」感覚を持ってほしい。
むしろそれが、社会生活の基本であることをわかってほしい。