リーダー不在の日本の教育 | 大阪龍馬の“日本の行く末”ブログ

リーダー不在の日本の教育

将来の日本を背負うのは、もちろんのごとく子供たちである。


教育は、未来の日本を左右する大切なものです。


今日は日本の教育のあり方について考えました。


日本ほどテレビ番組が発達した国は、なかなかないでしょう。


しかし、子供がテレビを見過ぎるというのは、いいこととは思いません。


なぜなら、テレビというのは、非常に受動的であります。


つまり、見ているだけで深く考える必要が無く、目と耳で全ての情報が入ってきます。



では、読書というのはどうでしょう?


読書は、文章を読みその情景を想像し、考えるのです。

その上に【言葉】というものを大切にします。


私は、児童虐待をしている親は、正にテレビ世代の人々と思います。


なぜ虐待をしてしまうかというと子供を叱る言葉を知らないので、

どのような言葉で子供を叱ればいいのかわからない。

そのために手が出る。

これが一つの虐待に至るプロセスかな?と思います。


テレビ世代の人は、言葉を知らず、想像力にも乏しいと思います。

具体的な問題点として、

自己表現が出来ない。

人の感情を読みとれない。

新しい展開を想像できない。

などなど・・・


私は、日本に教育に置いて、もっと図書館や図書室の蔵書を充実させ、

もう一度、読書を奨励すべきと思います。


つまり、国語教育をもっと充実させるべきです。


私が外国で住んでいる時に受けた教育で日本にない素晴らしい授業がありました。


ディベーティング(討論)やドラマ(演劇)・スピーチコミュニケーションが

行われています。

これらを一つ一つひもとくと

ディベーティングは、

一つの課題に対し、それぞれが調べ、それを討議する。

とても単純ですが、リサーチする能力、独自の考えの創造、

自己の考えを主張能力を養う。


ドラマ(演劇)は、

作者が何を言いたかったのかを読み取り、言葉と身体で表現する。

それぞれの配役の意味を考える。

劇の全体の流れを読み取り構成する能力を養う。


スピーチコミュニケーションは、

事前に与えられた課題の場合、自分でリサーチし、主張する。

突然与えられた課題から自分の得意な分野に誘導し、主張する。


このような教育が行われていました。

なぜ日本ではこのような教育はないのでしょう?


まとめますと

・国語教育をもっと充実

・自己表現能力の育成

・コミュニケーション能力の育成

・リサーチ力の育成

・全体の流れの読み取りと構成する能力の育成

・多面的な考え方を創造する


これらが今の日本には欠けている気がします。

日本は、リーダーシップを育てるような教育を来ませんでした。

その結果、今の政治の世界において、国を牽引出来、任せる事が出来る

人材がいないのではないでしょうか?

今こそ未来のリーダーを育てる教育が必要ではありませんか?