金戒光明寺の高麗門(西門)
高麗門には右脚柱に「京都守護職本陣」の表札が掛かっています。
石段を上った左側に鐘楼
昭和十九年に再建されたもので、内陣正面には宗祖法然上人七十五歳の御影(坐像)を奉安している。円光大師二十五霊場第二十四番、京都二十五処第七番の霊場となってます。
右脇壇には吉備観音、左脇壇には中山文殊を安置してます。
これらの御朱印は御影堂の中でいただきます。
円光大師二十五霊場第二十四番の御朱印
吉備観音は拝受せず、五劫思惟阿弥陀仏(アフロ大仏)の御朱印をいただきました。
御影堂から極楽橋を渡って五劫思惟阿弥陀仏の所に向います。

五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ)

五劫思惟の阿弥陀仏は、通常の阿弥陀仏と違い頭髪(螺髪らほつ)がかぶさるような非常に大きな髪型が特徴です。
「無量寿経」によりますと、阿弥陀仏が法蔵菩薩の時、もろもろの衆生を救わんと五劫の間ただひたすら思惟をこらし四十八願をたて、修行をされ阿弥陀仏となられたとあり、五劫思惟された時のお姿をあらわしたものです。
五劫とは時の長さで一劫が五つということです。一劫とは「四十里立方(約160km)の大岩に天女が三年(百年という説もある)に一度舞い降りて羽衣で撫で、その岩が無くなるまでの長い時間」のことで、五劫はさらにその5倍ということになります。
そのような気の遠くなるような長い時間、思惟をこらし修行をされた結果、髪の毛が伸びて渦高く螺髪を積み重ねた頭となられた様子を表したのが五劫思惟阿弥陀仏で、全国でも16体ほどしかみられないという珍しいお姿です。
金戒光明寺の五劫思惟阿弥陀仏は、特にめずらしく石で彫刻された石仏で、江戸時代中頃の制作と思われます。

それでは近畿三十六不動尊霊場の聖護院門跡へ歩いて向います。