荘厳浄土寺からこの池田屋さんの交差点を左に曲って少しのところが和光山西之坊です。
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明治の始め池田屋十七代目、池田屋甚兵衛が多年に渉り研究したる手法をもって調製致したものであります。
宮中、仕出しの女官若葉局を介し、明治天皇十五年の長きに亘り献上致し、引き続き大正天皇、今上天皇の摂政宮殿下時代にも献上の光栄に浴しました。
住之江味噌の命名は住吉大社の宮司さんが名付けたようです。
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今度、お店の中をのぞいてみよう。
西之坊の山門です。
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当寺は、もとは天野谷寺五か坊のうちの一坊で、住吉大社の社僧寺であった。そのころは、真言宗・天台宗の二宗がともに住吉大社の別当としてそれぞれ寺院をかまえていたようである。
当寺の草創については、戦国時代(1573年~1592年)兵火にかかったさい、由緒古記宝物などすべてのものが焼失してしまったため、くわしいことは不明となっていまった。焼失ののち、元和3年(1617年)に中興・長尊僧正によって再興されたと伝わっている。明治維新の廃仏毀釈のさいに、各坊の仏像を併合して、当寺のみが存続することになった。
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境内入って左側に御本堂
御本尊は地蔵菩薩
三宝荒神、不動明王、十一面観音、弘法大師
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方違社
弁財天・歓喜天・守護神・本命宮・霊符神・大金神・八将神・猿田彦大神・摩訶迦羅天・十六善神・大小神祇を祀る
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伝えるところによれば、方違社には神功皇后三箇男大神のご還座の折、方位が悪かったため、当寺において方除のご祈祷をされたという縁起木版および口碑があり、それを由来として大金神など諸神がまつられたようである。
〜摂津八十八ヶ所霊場サイトより〜
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摂津國八十ハヶ所第三十四番
御本尊地蔵菩薩の御朱印いただきました。
屋根のてっぺんにある宝形が山門入って左にあるのを帰りに気づきました。
なんか謂れがあるんかな?
住吉大社へつづきます。