関西花の寺十二番 久安寺久安寺の続きです。薬師堂の右奥の芳泉庭薬師堂から本堂へ向かいます。柏葉紫陽花額紫陽花鐘撞堂元録年間改築時の旧金堂や欅柱や、寛文年間改修時の楼門柱石と金剛柵の意匠。四隅に黄色調の音色の梵鐘腰掛け石は、豊臣秀吉が参拝し、三光神を勧請し、月見の茶会を催した時に腰掛けたといわれる石です。本堂神亀二年(725年)、行基菩薩が開創。天長年間(824~834年)弘法大師留錫し、真言密教道場として栄えた「安養印」が前身です。保延6年(1140)安養院は灰塵に帰しましたが、薬師如来像、阿弥陀菩薩像は損傷を免れ、本尊千手観音像は岩の上に飛行して、光明を放ったと伝えられています。久安元年(1145年)に近衛天皇の勅願寺として桜門、堂塔伽藍、四十九院などが再興され、久安寺と改称されました。摂津三十三観音霊場第十九番札所です。御本尊は千手観音菩薩本堂から三十三所堂、阿弥陀堂、御影堂まで続いています。御影堂から本堂へ戻り普供養の庭へ本堂の裏へ本堂裏のパン字池関西花の寺十二番の御朱印舎利殿涅槃堂へつづきます。