河内西国巡礼第十三番札所 元善光寺 | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

大通寺のご住職から道順を教えて頂きあるいて約5分の元善光寺と思ったら・・・😅
ここは垣内子守神社
折角なのでお参りしましょう
手水舎
狛犬さん
狛犬さんの足元に狛犬のちびちゃんがいます。
二礼二拍🙏
一本道を曲がるのが、早すぎたようでしたので元に戻って少し進むと善光寺の石碑ありました。
石碑には名木「きこくの楠」「しなのの柿」「ふだん梅」と刻まれていました。
ここで間違いないでしょう。
入って行きましょう🚶🚶🚶
道の脇に垣内地蔵堂
大きな楠の木が見えてきました。
この楠の木は樹齢千年ぐらいで、本田善光が再びこの地にお参りにきたときに、その道々ついてきた杖をここに突き刺したのが育ったと伝えられています。
大阪府顕彰天然記念物です。
手水舎
このお墓は、本田善光のお墓です。
「元善光寺の誕生ものがたり」
この国に仏教が伝わってまもないころ…仏教派と反対派が争うなか、大和橿原の向原寺で仏さまがお祀りされました。
その後まもなく国中で疫病がはやり、それを見たことかと在来の神さまをあがめる反対派が勢いづき、戦いがおこり反対派が勝利しました。反対派は仏さまを放置すればまた誰かがとこかで祀るだろうと恐れ、仏さまを七日七夜、鉄をも溶かすたたらにかけたのですが、閻浮壇金という金属で造られた仏さまは溶けません。それならと今度は難波の堀江という池に沈めました。
のちにそれを聞いた聖徳太子が仏さまをおすくいしようとすると「今あなたに拾われるより、のちにもっと因縁の深い人に拾われるから、このままに」という仏さまの声が聞こえ仏さまはふたたび池へ沈んでいきました。
それから何年かのち信州から主人の都仕えのお供で大和に来ていた本田善光がこの地をお参りにまわっていて、堀江の池の端を通ったとき、背中が急に重くなりました。
あの仏さまが善光の背にうつられたのです。
信心深い善光は仏さまを背負い信州へ帰ることにしました。
途中、信貴山の毘沙門天にお参りしたあと高野街道へ出るところで日が暮れ、1軒の農家に宿を借りました。農家の人は仏さまを見て、是非ここで祀らせて欲しいとたのみますが、かなわず、近所の人も共に一晩拝みました。すると翌朝なんと、仏さまが二体に分身されていたのです。善光は信濃へ帰りこの仏さまをお祀りしたのが今の善光寺です。もう一体の分身された仏さまが、ここ元善光寺にお祀りされています。
~おわり~
河内西国巡礼第十三番札所の御朱印です。
御本尊の阿弥陀如来の御朱印も頂きました。
御朱印頂いてから元善光寺の由緒をご住職からお聞きしました。簡単にいうと大昔に廃仏毀釈があり仏さまを堀江の池に沈めました。
それを聞いた聖徳太子が仏さまを探しに行ったけど仏さまに、ご縁がないと断られ、池の中へ沈んだけど何年か後、ご縁のある本田善光に拾われて信濃へ連れて行ってもらう途中、ここで分身、分身がここに残ったそうです。
大通寺もそうですけど高安のご住職は色々、ためになる話しをして頂けると思いながら元善光寺をあとにします。
次は近鉄高安駅から近鉄八尾駅のおおさか十三仏霊場第五番札所の常光寺に向かいます。🚊