琉球八社 識名宮(しきなぐう) | imachanのお参り

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平成30年の初詣に藤森神社の御朱印を頂いてから御朱印収集にハマってます。お参りした神社仏閣と御朱印を紹介します。

最後にお参りした琉球八社は識名宮です。
カーナビ頼りで運転してましたが、急な坂道の通行止めのところを行くルートを案内されたり、何度か迷わされましたが近所の人に聞きながら何とか識名宮に到着しました。
(普通の道沿いやないか!とおもわずナビに突っ込みを入れてました。)
一の鳥居
参道
手水舎
二の鳥居
狛犬?シーサー?
鞠のようなものを抱えてますね。
拝殿です。
御祭神は「 伊弉册尊」「速玉男命」「事解男命」「午ぬふぁ神」 「識名権現」です。 
沖縄らしい瓦ですね。

「識名宮復興記念碑」
一の鳥居のすぐそばに由緒がありました。
琉球王の篤い信仰を承け、尚元王(1556年~72年)の長子尚康伯の病気回復に霊験を得て、識名宮と神応寺を創建したそうです。
尚賢王(1644年)から毎年1月、5月、9月の吉日に国王の参拝が始まった。
宮司さんがおられましたので、御朱印頂きました。
一の鳥居の道向かいの「神の道」案内
神や神に仕える神女(祝女)たちが祭祀の時に通った道だと言われている。一人がやっと通れるぐらいの細い道で祭祀の期間中は村人たちがこの道を通ることを禁じられていた。すぐ近くにあったヒヌカン(火の神)・タキグサイ・ウビーガーと識名宮と行き来した道であるか?
あるいは、シーマヌウタキや首里王府守護のウタキへつがる道であったのだろうか?
下の案内は「北村秀一農事試験上長 終焉の地」です。
この場所で昭和20年4月23日に米国の爆撃を受けて殉職されています。🙏
琉球八社は全てお参りできました。
次は首里観音 慈眼院に向かいます。🚘