おいっす!
拙者、松山勘十郎。
本当は昨夜のうちにこのブログを書くはずだったが、
全部の仕事が終わった途端立っていられなくなりぶっ倒れた。
傍らにあった阪神タイガースの枕に縋り付いたら
そのまま意識を失っていた。
早朝、なんとか秘密基地に帰っては来たが
断続的に今までずっと眠っていた。
昨日の乱丸フェスタ、やっぱり少しハリきり過ぎたかなあ。
しかし何の後悔があろうか。
あの浜田文子さんと試合ができたのだ。
浜田文子。
言わずと知れたグラン浜田選手の娘さんであり、
創立間もないアルシオンへの入団はセンセーショナルな話題として
プロレス界を騒がせた。
1998年8月9日、後楽園ホールでキャンディー奥津を相手にデビュー。
当時、プロレス大好きな中学2年生でちょうど夏休みを過ごしていた拙者は
週刊プロレスでその試合を報じる記事を読んだ。
念願かなって初めてアルシオンを生観戦したのは
1999年5月3日STARLIGHT99の長岡市厚生会館大会だが、
その時は玉田凛映選手とのシングルマッチを戦っていた文子選手。
その時のライセンスナンバーは14だった。
その後もAKINO選手とのタッグでツインスターオブアルシオンの獲得、
ラスカチョからの勝利、グラン浜田選手との父娘タッグで
P☆MIXの初代王者チームにもなり
師匠であるアジャ・コング選手を倒しクイーンオブアルシオンの
ベルトも手に入れた。
数々の実績やベルトを手中に納めた文子選手。
wikipediaによればマッハ文朱級のスピード出世だったとか。
クイーンになってアジャ選手からライセンスナンバー1を継承した後に
買ったポスターにはしっかりとサインと一緒に「♯1」と書かれていた。
今でも実家にある。
アルシオンを退団しGAEAJAPANに出現した際には
自身に中西百重も含めた3人で「新世代の要」と評されていた里村明衣子と
初遭遇を果たす。
北斗晶さんの引退試合のメンバーにも抜擢され、
更にはその後全日本女子プロレスにおいて至宝・WWWA世界シングル。
即ち赤いベルトもその手中に納めたのだ。
(高橋奈苗選手に敗れるまでメキシコでマルセラと防衛線をやったりもした)
ここまでいろいろ書いたが、アルシオンとは松山勘十郎にとって
最も思い出深い団体であり、
その生え抜きであった文子選手との対戦は拙者の青春を
ぶつける想いであった。
ハッキリ言って全てを出し尽くしました。
全てをぶつけました。
文子選手には何も思い残す事はありません。
メキシコで初舞台を踏んだ者としてルチャのサラブレッドである
文子さんとの対戦はすごく光栄だし、
最後はまさかまさかのパパ登場。
ダブル浜ちゃんカッターで完全にKO。
そこから乱丸の雪崩式フランケンシュタイナー→
文子さんのムーンサルトプレスで昇天しました。
負けたけど、こんな充実感があるでしょうか。
1試合完全燃焼。
文子さんの肩を殴った拳が痛い。
ムーンサルトが落ちてきた下腹や膝が痛い。
それすらも心地よいのです。
乱丸姉さんに本当に感謝。
拙者の本番は11月18日。
負けないよ!!