己の公演の事を考えるからこそ、人の興行も思い出しておきたい。
先週金曜日の乱丸フェスタのメインイベント。
拙者はえべっさんと組んで乱丸、堀田祐美子と対戦した。
拙者が女子プロレスを見出したのは中学生の時で、
彼女は神取忍と最強のライバル闘争を繰り広げていた。
団体規模で抗争していたLLPWからWWWAのベルトを取り戻したのも堀田さんだった。
キック&サブミッション。
まだまだ各団体に絶対的なトップとエースが必ずいた時代、彼女も間違いなく最強の一人だ。
最初に堀田さんの試合をちゃんと見たのは96年のジャパングランプリ。
アジャ・コング、井上京子を連破したレジー・ベネットと時間切れ引き分けの大熱戦。
まだまだ男子プロレスオンリーだった少年松山勘十郎に女子プロレスという新たなカテゴリーを
インストールするには充分な衝撃だったのだ。
全日本女子プロレスが倒産して選手が大量に離脱した後も全女に留まった堀田さんは
成長著しかった後輩の壁であり続けた。
中西百重、高橋奈苗など。
拙者がメキシコに渡ってからも絶えずチェックしていた女子プロレス。
GAEAJAPAN、アメージング・コングとの抗争、AtoZ、堀田さんは常にその中にいた。
そして闘龍門13期生として逆上陸第2戦のUD:CASA。
2006年の夏、今では伝説(?)となった歌舞伎町の新宿クラブハイツ公演である。
そこで組まれた下田美馬VS堀田祐美子のシングルマッチ。
拙者はその試合の特別レフェリーを務めた。
メキシコで一緒だった美馬姐さんより、
レスラーになって初めてお会いした堀田さんに感動し拙者は結託を受けた。
もちろんレフェリングはスピード&セクハラ。
とりあえず堀田さんは思い通りに行かないとすぐ怒るな、そして怒ると怖いなという同じ業界人として
初めて覚えた感覚でした。
大阪プロレスに活動の場を移してからの事では、
後楽園ホールでのウルティモドラゴン20周年記念大会にも参加。
またまた堀田祐美子VS下田美馬のシングルマッチのレフェリーである。
しかーし!
度重なる堀田さんの横暴に拙者は反旗を翻し美馬姐さんに勝利をプレゼント。
その結果を不服とする堀田さんと拙者の小競り合いの中、
闘龍門理事長の三遊亭楽太郎師匠から「バカ」と横槍が入り
3WAYで再試合を行い決着を付ける事になった。
最終的には女子のレジェンド二人からボコボコにされ
美馬姐さんの15周年を自らを犠牲にして祝う形になった。
それ以来の、久しぶりの再戦だった堀田さん。
もちろん機会を与えてくれた乱丸には感謝です。
堀田さん。
ファン歴には差はあるけど拙者も乱丸と同じくずっと貴女を見続けて来た一人です。
女子プロレス最高。