新年会前のチョコット撮影会・伊勢寺.1 | ぶら散フォト日記

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カメラ片手にぶらぶら散歩・小旅行で撮った写真を・・・

今朝の高槻は気温2℃でしたが風もなく穏やかで、心持ち雲が多い空の高圧鉄塔の上には、

月齢19.1の月が見え隠れしていた。

最高気温10℃らしい℃、今週末は今シーズン最高の冷え込みになるらしい。

処で高槻市古曽部地区の撮影会ようすを紹介していますが、今回は伊勢寺です。

伊勢寺は、金剛山象王窟(こんごうさん-しょうおうくつ)と号して曹洞宗に属し、聖観音を本尊とします。
寺伝によれば、三十六歌仙の1人で平安中期の女流歌人、伊勢の晩年の住居跡に建つといい、

天正年間に高山氏の兵火で焼失したといわれています。

 

境内の様子を画像で紹介します。

平安時代の三十六歌仙の一人で、宇多天皇に愛され御息女にまでなった伊勢姫(877?~939?年)が、

天皇の没後、草庵を造り隠棲したのがこの地であり、伊勢姫の死後、「伊勢寺」の名で寺が創始されたといわれている。

当初の宗派は天台宗だったようである。

 「中門」の左手に伊勢姫の詠んだ代表的な歌の一つとされている

『難波潟みじかき葦のふしまにも逢はでこの世を過ごしてよとや』

(新古今和歌集)を彫った「歌碑」(左の写真)が建てられている。

ここでも蝋梅が咲いていた。

冬の日差しが竹藪越しに境内を照らしていた。

現在の堂宇は江戸時代初期、元和から寛永(1615-43年)の頃、

宗永和尚により再興されたものであるといわれており、この時、

伊勢寺の宗派は天台宗から曹洞宗に転じたようである。

上述の通り、伊勢寺は伊勢姫ゆかりの寺であることから、伊勢姫が使用していたとされる丸形の五寸鏡、

雌雄唐獅子珠や陶淵明の彫りのある硯など、伊勢姫縁の品々が寺宝として保存されている。

(解説はネットより引用しています)

 

次回は境内の西側にある墓地の中の伊勢姫を祀っている「伊勢廟堂」や

かつての高槻城主和田惟政の墓など紹介します。

 

 

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