米兵捕虜連行の元少女兵「あの頃の戦友達に会いたい」
2012/05/13
inShare(C)Tien phong,TNA
 大柄の米兵捕虜を少女兵が連行する様を写した写真。この写真を手にしている女性は、まさに写真の中の少女グエン・ティ・キム・ライさん(64歳)で、髪はすっかり白くなったが今も元気に暮らしている。

 ライさんは当時の様子をこう語る。「1965年9月に米軍の戦闘機の攻撃を受けた時、1機を撃墜しましたが、パイロットはパラシュートで脱出しました。仲間を探しに来た米軍のヘリコプターを男性兵士が狙い撃つと、ヘリコプターは着地して乗っていた兵士らは散開しました」

 17歳だったライさんは、銃を渡されて村の民兵達と共に米兵らを探しに出た。「私はやぶの中にいる米兵を見つけましたが、大男の上に相手も銃を持っていたので恐ろしかった。でも私が気を落ち着けて、空に向かって3発威嚇射撃をすると、米兵はすぐに銃を置いて降参しました。連行して戻った時、写真を撮られたことには気が付きませんでした」とライさん。

 身長1.47メートルの少女兵が2.2メートルの米兵を連行している写真は、世界に衝撃を与えた。小国ベトナムが大国アメリカと戦う姿の象徴として受け止められた。1967年には切手のデザインに採用され、各国の記者はライさんに注目したが、彼女の消息は分からなかった。

 その頃のライさんは、写真のことも知らずに北中部クアンチ省の戦場で、医療部隊の看護士として働いていた。約50人の部隊で、敵の攻撃を避けるため2か月に1度移動を繰り返していたが、1968年に移動中に爆撃を受け、爆弾の破片で負傷した。幸い軽傷だったが、この時同僚だった2人の看護士が戦死した。

 ライさんは戦場で仕事を続けることを望んだが、翌1969年に聴覚に問題があるとして後方勤務になった。その後、北中部ハティン省の病院で定年まで勤め上げた。彼女が連行した米兵ウィリアム・ロビンソンさんは1973年に釈放され、1995年には30年振りに再会を果たした。

 ライさんは最近、長年行方が分からない医療部隊の同僚達との再会を望んでいる。ライさんは「当時、多くの医師が私よりかなり年上でしたから、今では鬼籍に入っているかもしれません。あの頃の仲間達に会いたいです」と話した。